【何だコレ】京都のお寺養源院にある血に染まった天井に関係する人物とは?

TV番組

京都と言えばお寺がたくさんあるイメージがあります。

修学旅行でも京都に行く学校は多いですよね。

 

その京都のあるお寺には血に染まった天井があるらしいのです。

なんでも元々は床板に使われていたのを徳川家康が保存するために天井にしたのだとか。

このことは9月25日放送の「何だコレ!?×林修ドリル~謎を解け!大調査SP~」で紹介されるようですね。

 

その板には「家康を天下人にのし上げた男」と呼ばれた男が関係しているのだそうです。

徳川家康関係の人と言えば、1600年前後の人となります。

誰の事なのでしょう?

どういうことが起きたのでしょうか?

少し調べてみました。

 

血の天井って少し怖いね

お寺で戦いがあったってわけではなさそうだけど

養源院

 

今回登場するお寺は養源院

京都の観光スポットにもなっています。

 

1594年、豊臣秀吉の側室だった淀殿が父親の浅井長政の供養のため創建しました。

しかし、1619年に落雷による火事のため消失してしまいます。

そこで1621年、淀殿の妹であり、徳川家康の息子徳川秀忠の妻であるお江により再建されます。

このときに伏見城の床板をうつしてきたのです。

 

鳥居元忠

家康を天下人にのし上げた男とは家臣の鳥居元忠のことです。

鳥居元忠は1539年生まれ。

 

元忠は徳川家康が今川家へ人質として出されていたころからの側近でありました。

家康とともに数々の戦をしてきたのです。

家康からの信頼は絶大なものだったでしょう。

バスのる

伏見城の戦い

1600年、家康は対立関係だった会津の上杉景勝を討伐するために出兵します。

その際、伏見城の守りを鳥居元忠に任せたのです。

 

家康が会津へ出兵すると石田三成が伏見城を攻めるであろうことはわかっています。

元忠には三成をおびき寄せ、足止めさせようとしたのですね。

 

家康は伏見城に多くの兵を残せないことを詫びると元忠は「上杉は強敵、一兵でも多く連れて行ってください

伏見城は私だけでも大丈夫です」と答えたそうです。

きっと元忠は死を覚悟していたのでしょう。

 

家康が会津へ出兵するとそのすきをついて三成が伏見城へ攻めてきました。

この戦いは関ケ原の戦いの前哨戦ともいわれているそうです。

元忠の兵は1800ほどに対し、三成方は約4万。

 

7月18日に伏見城は包囲され、元忠は奮戦しますが8月1日に三成方の兵が伏見城へなだれ込んできます。

元忠も自刃し、380人以上が討ち死に、または切腹したそうです。

この兵たちの亡骸は関ケ原の戦いが終わる約2か月もの夏の間放置されていました。

そのため、伏見城の床には結婚などがこびりつき、拭いてもも取れなかったそうです。

 

これを関ケ原の戦いの後に見た家康は忠義に感激し、魂を成仏させるため養源院に板を使用しました。

天井にしたのは誰にも踏まれないようにするためなのです。

 

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ちょっと一言

ホラーじゃなかったね

供養のためだったんだよ

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