【アナザーストリーズ】1997年の山一證券の自主廃業、号泣していた社長野澤正平の今は?

TV番組

4月15日の「アナザーストーリーズ」では

山一破たん たった1つの記事から始まった」が

放送されます。

 

4大証券会社の一つだった山一證券

しかし、1997年に3兆5千億円の負債を抱え

自主廃業してしまいます。

 

このときの会見で社長だった野澤正平さんが

「社員は悪くありません」と涙ながらに訴えたことが

記憶に残っている人も多いことでしょう。

 

野澤さんは山一の社長を辞めた後どんなことを

していたのでしょうか?

今はかなりのご高齢だと思いますが。

 

すこし調べてみました。

 

あったね!

バブル崩壊の後だよね

山一證券

山一證券(やまいちしょうけん)は1897年創業の

証券会社の草分けともいえる会社です。

 

野村證券、大和証券、日興証券とともに4大証券会社

呼ばれていて

証券業界のトップだったこともあり

法人関連業務に強く「法人の山一」「人の山一」とも

呼ばれていました。

 

そんな大手証券会社山一證券も1997年に

自主廃業して表舞台から姿を消すことになるのです。

自主廃業

そんな巨大な証券会社山一證券は1997年に

資金繰りが行き詰まるとの判断から自主廃業を決定しました。

 

その背景には帳簿に乗らない債務「簿外債務」が

拡大していたことにあります。

そこには「にぎり」と「飛ばし」と呼ばれる2つの取引が

ありました。

 

「にぎり」は大口顧客に一任運用のファンドや株を売る際に

あらかじめ一定の利回りを保証する契約。

「飛ばし」はバブルがはじけ損失となった「にぎり」の

商品を含み損が決算で表面化しないように、決算前によそへ一時的に移して

決算後に元に戻す行為です。

山一はペーパー会社を設立し「飛ばし」を行っていました。

 

結局簿外債務は2600億円にも上り

再建を断念、創業からちょうど100年後に

自主廃業となりました。

 

その山一證券の最後の社長となり

廃業の記者会見で

「私らが悪いんであって社員は悪くありませんから。

どうか社員の皆さんを応援してやってください。お願いします。」

と涙を流しながら訴えたのが野澤正平さんでした。

野澤正平

野澤正平さんは1938年生まれ。

 

1964年に山一證券に入社後は

名古屋や大阪の支店長などを経て、1997年7月に

社長に就任

国立大卒の大蔵省担当経験者しか社長になれなかった当時の山一證券で

私立大卒の一営業社員から社長に上り詰めましたが、その4か月後に山一は廃業に

追い込まれました

 

社長就任時には不正のことは知らされていなく

貧乏くじを引かされたのですね。

大蔵省に相談に行くと自主廃業を申し渡されたのだとか。

 

山一の最後の社長となりましたが

社員の再就職などに尽力したため、慕われているそうです。

 

野澤さんはその後

センチュリー証券の社長などを経て

G-FACTORY株式会社の社外取締役やワイズ総研の研究員を

勤めているようです。

 

【カンブリア】コロナ危機で大ダメージの銚子電鉄、何でもありの経営術とは?
6月11日には「カンブリア宮殿」で「絶対に諦めない鉄道会社 なんでもありのサバイバル経営術」 として千葉県にあるローカル鉄道「銚子電鉄」が特集されます。 銚子電鉄といえば今までも存続が危ぶまれるような危機が報じら...
ちょっと一言

慕われているんだね

会見では心からの訴えだったしね

コメント