【アンビリバボー】ビーチフラッグス連覇の和田賢一、最速の男ボルトに教えを請いた結果は?

TV番組

7月22日放送の「奇跡体験!アンビリバボー」では

夢に向かって突き進め!可能性は無限大SP!」が

放送されます。

 

そのなかでビーチフラッグスの和田賢一選手が紹介されます。

和田賢一(わだけんいち)選手は

ビーチフラッグスの全日本選手権を制覇するほどの実力者でした。

しかし、世界のトップ選手と比べると走る力に差があったのです。

 

陸上経験は全くありませんが、世界のトップと闘うためには

1秒縮めないといけません。

「早く走りたい」そう思った和田選手は世界最速の男の

元へ向かったのです。

どういうことなのか少し調べてみました。

 

世界最速?

ボルトかな

和田賢一

和田賢一選手は1987年生まれで東京都出身。

 

幼いころはプエロ野球選手を夢見ていましたが

高校時代「イップス」で突然ボールが投げられなくなってしまい

野球選手の夢を諦めます。

 

その後スポーツトレーナーを目指し大学時代に勉強に励んでいると

偶然参加した心肺蘇生法の講習会で「ライフセービング」と出会い

ライフセービングの競技「ビーチフラッグス」が

大好きになったそうです。

 

大学4年生でビーチフラッグスを始め

3年後の2012年全日本種目別選手権で優勝を果たしました。

ボルト

和田選手は世界に挑戦したいと思い

クラウドファンディングで資金を集め

世界大会、全豪選手権に参加し入賞を果たしました。

 

しかし、トップの選手とはまだ差があったのです。

そこでオーストラリアに移り住み、全豪選手権優勝10回の

伝説のチャンピオンと一緒に練習。

すると2014年には全豪選手権で銀メダル

世界選手権インタークラブでも銀メダルを獲得することができました。

 

しかし最後は走り負けてしまっていたのですね。

そのため受け入れてくれるチームを探し

ウサイン・ボルト選手も所属するジャマイカのレーサーズ・トラッククラブから

返事をもらい

必死に「ビーチフラッグスにかける想い」を訴え

練習参加の許可をもらいました。

現在

再びクラウドファンディングで資金を集め

ジャマイカへ留学。

 

そしてビザが適用される3カ月間、ボルト選手と一度も休まずにトレーニングを

積みます

ボルト選手も毎日のように吐きながらトレーニングをしていて

ここのトレーニングで早く走れることを確信。

帰国した時には出発した時より1秒も早くなっていたそうです。

 

和田選手は全日本選手権で3連覇を達成

「走り革命理論」を確立し、「走りの学校」という

スクールを創業しています。

 

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ちょっと一言

ボルトも才能だけではないんだね

1秒早くなるってすごい!

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