2月2日の「ワールド極限ミステリー」では
「奇跡の実話!南極物語~2頭の犬が極寒生き抜いた謎解明」が
放送されます。
樺太犬の兄弟タロとジロ。
映画の「南極物語」でも有名ですね。
日本初の南極観測隊に樺太犬が同行していましたが
マイナス45度の極寒の地に置いていかなければ
ならなくなりました。
再び南極に戻ると残された樺太犬の中でタロとジロだけが
生き残っていたのです。
しかもタロとジロを守っていたもう一匹の犬の
存在も明らかになったのだとか。
どういう事なのか少し調べてみました。

どうやって生き延びたんだろうね?

食料とかね
南極観測隊
タロとジロの物語
この2つの名前は、日本の南極観測隊の初期に活躍した犬そり用の樺太犬(からふと)のことだ。
第1次南極観測隊は、砕氷船「宗谷」により1956年(S31年)11月に、53名の観測隊員と22頭の樺太犬と共に出発した。https://t.co/kWlu7Jls2s pic.twitter.com/usmpH1GLeB— 木村栄二 (@eizi_kimura) October 16, 2020
1956年、総勢53名の第1次南極観測隊隊員と
タロとジロを含めた樺太犬は南極観測船宗谷で
南極へ出発しました。
南極の昭和基地を活動の拠点とし、目的は
気象や生態系の調査。
大量の荷物を運ぶために犬ぞりも用意され
樺太犬はそりを引っ張るために来たのですね。
人間と犬との共同生活が始まり
第1次観測隊は任期を終え交代となりました。
しかし、悪天候のため第2次隊の到着が遅れ
仕方なく次の隊が来るまで15頭の犬たちを基地に残しておくこととなりました。
野生化しないため鎖でつなぎ、大量の食糧を残して。
その後、状況が悪化し第2次隊は越冬を断念。
犬たちを連れて帰ることができず
次に南極に来たのは一年後のことでした。

タロとジロ
船内に展示されている等身大のタロとジロは、フェルトアートでできています。制作を依頼された方は、ここまで大きなものを手掛けるのは初めて。お断りする言葉を考えながら駅で切符を購入したら、お釣りでタロとジロが描かれた記念硬貨が出てきたそうです。不思議な縁があり、無事に完成しました🐾 pic.twitter.com/8mEU4iD7gp
— 初代南極観測船“宗谷”に会いに行こう! (@SOYA_PL107) January 14, 2022
犬を南極に置き去りにしたことにより
観測隊の人々は世間から大きな非難を浴びました。
約一年後、南極観測が再開されます。
隊員たちは犬たちは生きていないだろうと思い
犬たちを供養する銅像も建てました。
しかし、再び昭和基地に到着するとタロとジロの姿が
あったのです。
初めは成長していてわからなく警戒していましたが
名前を呼ぶと反応したのだとか。
他の7頭の犬は遺体で発見され、6党は首輪から抜け出し
行方不明となっていました。
どうやってタロとジロは生き延びたのでしょう?
昭和基地に残されていた人間用の食料には手を出していなくて
共食い説もほかの犬の遺体がきれいだったため
否定されています。
そこには第3の犬の存在があったみたいです。
リキ
タロジロを守ったリキのお話でめっちゃ泣いた
数年前に撮ったタロジロ🐕🐕 pic.twitter.com/UZhDV6Mx6H
— ฅU ´ ᴥ ` Uฅ ❤︎ みるみる (@h_mirumiru) September 9, 2020
タロとジロの生還から8年後。
昭和基地の側で首輪をしていない犬の遺体が発見されました。
この犬こそがタロとジロが生き残るのを助けた
リキだと言われています。
リキはタロとジロの親代わりをすることがあり
残された後も首輪が外れてもタロとジロのことを心配して
基地から離れなかったのでしょう。
幼いタロとジロを守るために残ったリーダー格の
最年長で7歳のリキ。
食料は天然冷蔵庫の海水に浸った人間用の食料やデポに
残された食料のほかに
100キロ先にクジラの遺体などもあり、リキならそれを
取りに行くことも可能でタロとジロに生き残るすべを教え
リキは寿命で死んだと考えられているそうです。


リキの存在が明らかになってよかったね

守っていたんだろうね
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