8月25日放送の「消えた天才」ではあるサッカー選手が取り上げられます。
なんでも、稲本潤一選手や中澤佑二選手が大絶賛していて
2002年の日韓ワールドカップも一緒に出場すると思っていたと語るほどの
ストライカー。
飛び級で日本代表の世代別代表に選出されたり、Jリーグでも当時の最年少出場記録を作るほどの
選手でしたが、結果を残すことができずに数年で消えてしまったそうです。
そのストライカーはおそらく小松原学選手のことでしょう。
初めは「和製ロナウド」こと矢野隼人選手のことかと思いましたが
小松原選手がJリーグ最年少出場記録を持っていました。
では、なぜそれほどの選手が活躍もできずに表舞台から姿を消してしまったのでしょうか?
少し調べてみました。

当時って黄金世代って言われてた世代でしょ、そこに飛び級で入るってすごいよね

何で活躍できなかったんだろうね?
小松原学
ありがとうございました!
明日は馬入でユースOBの試合〜!
皆さま明日もよろしくお願い致します🙇 pic.twitter.com/0x88TAMFpi— 小松原 学 (@komatsubara_m) December 22, 2018
小松原学選手は1981年生まれで群馬県出身。
4歳でサッカーを始め、小学2年生の時にはプロを目指していました。
中学生になると地元を離れベルマーレ平塚(現湘南ベレマーレ)のジュニアユースに入ります。
中3の時には一つ上のカテゴリーU17日本代表にも選ばれ、アジアを戦いました。
その後、ベルマーレユースに昇格。
Jリーグに2種登録選手として登録され、1998年4月11日セレッソ大阪戦で17歳9日という
Jリーグ最年少出場を記録したのです。
引退
高校生でJリーガーとなり、代表でも飛び級で選ばれ未来は明るいものに見えました。
1999年や2000年には20試合以上試合に出場しましたが
2001年には怪我などの影響もあり出場は5試合にとどまり、ベルマーレを退団することになります。
その後はヴァンフォーレ甲府や神奈川県リーグのFC湘南大磯
JFLのFCホリコシと渡り歩きますが、24歳の時に「試合に出続けよう」とか
今の状況をも守ろうとする自分に気づき現役の引退を決意。
飛び級などもあり将来を嘱望されましたが、怪我などに泣かされ7年で現役を引退することとなりました。
現在は?
現役引退後はギャンブルで日銭を稼ぐ時期もありましたが
6年間かけて必死で、柔道整復師やあん摩マッサージ指圧師の資格を取得。
「梅沢富美男さんを診た」ということがきっかけとなり、有名アイドルグループやケツメイシ
のツアーに同行し施術するほどの人気整体師となりました。
2012年、群馬にPass鍼灸整骨院を開院。
現在は整骨院とともに少年サッカークラブを運営しています。


怪我に悩まされる選手は多いね

そういうことも整体師になるきっかけとなったのかな?
コメント