炎のストッパー津田恒実の息子の現在、その息子の驚くべき行動とは?

TV番組

炎のストッパー」と呼ばれた投手のことを知っていますか?

その人は広島カープで活躍した津田恒実投手。

残念なことに32歳という若さで病気のため、亡くなってまいました。

 

津田恒実さんには現在社会人の息子さんがいます。

その息子さんですが何か、驚きの行動をとっていたそうです。

その内容は7月19日放送の「爆報!THEフライデー」で放送されるようですね。

どんな行動をとっていて、現在は何をされているのでしょう?

少し調べてみました。

何をしたんだろう?

お父さんに関することかな?

津田恒実

生年月日 1960年8月1日

出身地 山口県都濃郡南陽町和田

身長 181cm

 

山口県立南陽工業高等学校時代は一年生の時からエースとして活躍。

高校卒業後は社会人野球の協和醱酵に入社します。

協和醱酵のエースとして活躍後の1981年にドラフト会議で広島東洋カープに1位指名され入団

することになりました。

ルーキーイヤーには11勝6敗の好成績を残し、球団初の新人王に輝きますが

翌年以降はルーズショルダーなどに悩まされ、不調となり登板機会が激減してしまいます。

1985年には名前を恒美から恒実へと改名し、翌年には抑え投手として復活、チームのリーグ優勝に

貢献しカムバック賞を受賞しました。

しかし、1988年にはリリーフ失敗を繰り返すなどして不調に陥りますが

翌年の1989年は12勝5敗28セーブを挙げる活躍で最優秀救援投手に輝き

見事に復活を遂げ、闘志があふれ豪速球を投げる姿は「炎のストッパー」と

呼ばれるのにふさわしい姿でした。

病気

1990年シーズンの終了後、津田選手は体の変調を訴えるようになります。

1991年の春季キャンプ中にも頭痛を訴え、体調が思わしくないまま4月14日の巨人戦には

8回の表から登板しますが、大乱調のためわずか9球で降板。

この試合が生涯最後の登板となるのです。

 

この試合の翌日検査入院をし、悪性の脳腫瘍であることが判明

5月15日には球団部長が緊急会見を開き、周囲の動揺を避けるために

脳腫瘍との発表を控え「水頭症」と発表し、5月20日に準支配下登録選手としました。

その後福岡市内の病院で治療は続けたものの、本人の希望で退団届が提出され

11月6日に退団を受理されます。

一時は奇跡的な回復を見せたこともあった津田選手ですが、1993年7月20日に32歳の若さで

旅立ってしまいました

 

津田選手の出身地が合併した山口県周南市の周南市野球場は公募により愛称が

津田恒実メモリアルスタジアム」となっています。

 

 

オアフ島のお水

息子の驚くべき行動とは?

津田選手には津田大毅さんという一人息子がいます。

大毅さんは大学まで野球をしていて、その後は会社員として活動していました。

行動をお起こしたのは2017年。

お父さんの記念館を設立するためにクラウドファンディングをスタートさせたのです。

目標金額は400万円でしたが、最終的にはなんと2600万のお金が集まりました。

それほど、津田恒実選手が愛されていたということでしょうね。

 

津田恒美記念館」は2019年5月30日に広島市内でオープン。

津田大毅さんは館長に就任しています。

 

 

ちょっと一言

ファンが訪ねるところがあるのはいいね

すごく印象に残る選手だったんだね

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