1月23日の「世界ふしぎ発見!」では「今、解き明かされる!シーボルト事件の謎!!」が
放送されます。
シーボルトといえば歴史の授業などで出てきますね。
歴史で登場する外国人の中ではかなり有名な人だと思います。
江戸時代にオランダから来日し、医師として長崎の出島に滞在。
私塾で西洋医学を教えていたそうです。
日本には6年ほど滞在していましたが、シーボルト事件で国外追放を言い渡され
帰国することになったのです。
シーボルトが集めた日本コレクションはオランダにあるのだとか。
シ-ボルトは日本人と結ばれて、イネという娘がいました。
イネも医学の道を志し、日本で初めての女性産科医になったそうですね。
そこでシーボルトやイネについて少し調べてみました。

マンガの仁に出てきたね

コレクションは持ち帰ったの?
シーボルト事件
1月23日放送の世界ふしぎ発見!は
今、解き明かされる!
シーボルト事件の謎!!お楽しみに❗️#ふしぎ発見 #シーボルト #長崎 #オランダ pic.twitter.com/H4AtI7lc0C
— 世界ふしぎ発見! (@fushigi_hakkenP) January 11, 2021
シーボルトは1976年にドイツのヴュルツブルクの医者の家に生まれます。
町医者として働いていましたが、見知らぬ世界を知りたくなり
当時世界中で貿易を行っていたオランダの軍医となりました。
1823年、オランダの命令で日本の長崎に到着。
医者としてだけでなく、日本についても調べるように命じられていたようです。
シーボルトは長崎で鳴滝塾を開き、医学などを教え
1826年にはオランダ商館長の江戸参府に同行。
しかし、このあとシーボルト事件が起きます。
シーボルトが日本調査のためにかき集めた品の中に幕府禁制の日本地図があったのです。
当時は地図といえば重要な情報。
地図返却を要請されましたが拒否したため国外追放処分となり
1830年にオランダに戻り、次に来日するのは約30年後となりました。
シーボルトの日本コレクション
シーボルトハウスのコレクションの数々!
江戸時代に行った感じです。
3月3日に、ライデンで日本のイベントがあります!
和太鼓のチームが来るそうです🇯🇵#Leiden #JapanDay pic.twitter.com/E32vyNnoCz— アルト・オランダ (@Artoshack) February 17, 2018
シーボルトの日本コレクションはオランダにあるそうです。
日本から離れた時に持って帰ったのでしょうか?
1830年、シーボルトはオランダに戻るとライデンに居を構え
ライデン大学で教鞭をとりながら、日本研究の代位に陳謝としてアドバイスをしたりもしていたのだとか。
シーボルトは日本で浮世絵、漆器、古地図、動植物の標本など様々なものを集めていて
シーボルトがオランダで暮らしていた家はシーボルトハウスという博物館になっていて
当時のコレクションも公開されているそうです。
楠本イネ
楠本 イネ(文政10年5月6日(1827年5月31日)- 明治36年(1903年)8月26日[1])は、日本の医師。フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトの娘。日本人女性で初めて産科医として西洋医学を学んだことで知られる。“オランダおいね”の異名で呼ばれた。 pic.twitter.com/2gFn67EeSo
— みつうろこ (@m_uroko) October 3, 2017
シーボルトは日本で遊女であったお瀧と結ばれ子供が生まれています。
その子供は楠本イネ。
シーボルトが帰国後も日本に残り、当時は混血の女性が珍しかったため
差別を受けますが、医師を志すようになり
複数の師から医学を教わり、日本初の女性産科医として産婦人科の発展に
大きな影響与えていきました。


シーボルトは再来日していたんだね

30年後だから開国していたんじゃないの
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