【アンビリバボー】銅像にもなった瀬戸大橋をかけた男杉田秀夫とは?

TV番組

6月24日の「奇跡体験!アンビリバボー」では

瀬戸大橋建設!一人の男のアンビリバボーな生き様」が

放送されます。

 

本州と四国を結ぶ瀬戸大橋

瀬戸大橋建設プロジェクトにはある男の壮絶な人生が

秘められていたそうです。

 

その人は杉田秀夫さん。

肩書きは「本州四国連絡橋公団坂出工事事務所 初代所長」ですが

瀬戸大橋記念館では銅像にもなっている人物です。

どのような人なのでしょう?

少し調べてみました。

 

瀬戸大橋かあ

橋が架かる前に大惨事が起きたよね

瀬戸大橋

瀬戸大橋は本州と四国を結ぶ橋として1988年に開通しました。

9年半の歳月と約1兆1300億円の費用が掛かっています。

 

鉄道と道路の併用橋としては、世界最大級で

世界一長い鉄道道路併用橋」としてギネスにも登録

日本の20世紀遺産にも選ばれています。

 

この瀬戸大橋ができたきっかけは

悲しい事故からだったのです。

紫雲丸事故

この事故は1955年に起きました。

 

紫雲丸は香川県の高松と岡山県宇野を結んでいた連絡船です。

霧の瀬戸内海で修学旅行からの帰りだった児童など

乗員乗客合わせて844人を乗せた紫雲丸は貨物船第三宇高丸と衝突

 

紫雲丸は数分で沈没することとなり、修学旅行帰りの児童100人を含む

168人が亡くなりました

この事故により瀬戸大橋の建設の機運が高まり

小中学校にプールの設置が進められ、水泳の授業が必須になったそうです。

杉田秀夫

瀬戸大橋の着工が決まり

当時国鉄の職員だった杉田秀夫さんが「本州四国連絡橋公団坂出工事事務所 初代所長」と

なります。

 

杉田さんは当時41歳。

男が惚れる男」と言われるほどのリーダーシップを持っていて

数々の工事を成功に導いてきました。

 

所長となった杉田さんですが、体力づくりのため

社用車ではなく、毎日自転車で出勤

潜水士の資格も取り、自らウエットスーツを着て海に潜り

海底の地形を調べたりもしたそうです。

 

工事のためには海底を爆破しなければなりません。

そのときのデータを漁師たちに正直に公開すると

罵声を浴びせられたり、胸ぐらをつかまれたりもしましたが

500回以上の話し合いを行い、心を開かれます。

 

杉田さんには奥さんと幼い3人の娘さんがいました。

しかし、工事中に奥さんが末期のガンで倒れてしまいます

杉田さんは誰にもこのことを話さず、仕事の後奥さんの病室に

向かい世話をし、朝は子供たちの食事の準備をしました。

 

奥さんは亡くなってしまいますが、瀬戸大橋は完成。

橋が完成した後、杉田さんは再婚せず現場の第一線から離れ

娘たちを育て上げたそうです。

 

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ちょっと一言

瀬戸大橋に情熱をささげたんだ

仕事だけじゃなく、家族にも手を抜かないからすごいね

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