6月24日の「奇跡体験!アンビリバボー」では
「 瀬戸大橋建設!一人の男のアンビリバボーな生き様」が
放送されます。
本州と四国を結ぶ瀬戸大橋。
瀬戸大橋建設プロジェクトにはある男の壮絶な人生が
秘められていたそうです。
その人は杉田秀夫さん。
肩書きは「本州四国連絡橋公団坂出工事事務所 初代所長」ですが
瀬戸大橋記念館では銅像にもなっている人物です。
どのような人なのでしょう?
少し調べてみました。

瀬戸大橋かあ

橋が架かる前に大惨事が起きたよね
瀬戸大橋
瀬戸大橋を渡り
一度だけ四国へ行きました🚙といっても
香川県だけですが😅朝陽を見ながら
大きな長い長い橋を渡りまずは
うどんを食べました期待以上に美味しかった✨
そう覚えています☺️#過去旅#瀬戸大橋#讃岐うどん#よしや pic.twitter.com/o50UnWufpk— 兎瑳 (@nodognolife0624) June 15, 2021
瀬戸大橋は本州と四国を結ぶ橋として1988年に開通しました。
9年半の歳月と約1兆1300億円の費用が掛かっています。
鉄道と道路の併用橋としては、世界最大級で
「世界一長い鉄道道路併用橋」としてギネスにも登録
日本の20世紀遺産にも選ばれています。
この瀬戸大橋ができたきっかけは
悲しい事故からだったのです。
紫雲丸事故
【Hickeyの今日は何の日?】
今日(5/11)は【紫雲丸事故の日】
昭和30年5月11日
国鉄宇高連絡船・紫雲丸が
貨物船に衝突し沈没したんだ😔
修学旅行中の児童ら168人が死亡😔
この事故が
瀬戸大橋の建設につながるんだよ❗️#学校じゃ教えてくれない大事なこと pic.twitter.com/ZMC0adzvXG
— Hickey☆Blog 🇯🇵 (@HickeyBlog) May 11, 2018
この事故は1955年に起きました。
紫雲丸は香川県の高松と岡山県宇野を結んでいた連絡船です。
霧の瀬戸内海で修学旅行からの帰りだった児童など
乗員乗客合わせて844人を乗せた紫雲丸は貨物船第三宇高丸と衝突。
紫雲丸は数分で沈没することとなり、修学旅行帰りの児童100人を含む
168人が亡くなりました。
この事故により瀬戸大橋の建設の機運が高まり
小中学校にプールの設置が進められ、水泳の授業が必須になったそうです。
杉田秀夫
瀬戸大橋記念館 時代を創った偉人 大久保諶之丞と杉田秀夫 香川県坂出市番の州緑町 #坂出市 #瀬戸大橋記念館 pic.twitter.com/QI0CbD4TAh
— もみさんぽ (@momisanpo) October 26, 2017
瀬戸大橋の着工が決まり
当時国鉄の職員だった杉田秀夫さんが「本州四国連絡橋公団坂出工事事務所 初代所長」と
なります。
杉田さんは当時41歳。
「男が惚れる男」と言われるほどのリーダーシップを持っていて
数々の工事を成功に導いてきました。
所長となった杉田さんですが、体力づくりのため
社用車ではなく、毎日自転車で出勤。
潜水士の資格も取り、自らウエットスーツを着て海に潜り
海底の地形を調べたりもしたそうです。
工事のためには海底を爆破しなければなりません。
そのときのデータを漁師たちに正直に公開すると
罵声を浴びせられたり、胸ぐらをつかまれたりもしましたが
500回以上の話し合いを行い、心を開かれます。
杉田さんには奥さんと幼い3人の娘さんがいました。
しかし、工事中に奥さんが末期のガンで倒れてしまいます。
杉田さんは誰にもこのことを話さず、仕事の後奥さんの病室に
向かい世話をし、朝は子供たちの食事の準備をしました。
奥さんは亡くなってしまいますが、瀬戸大橋は完成。
橋が完成した後、杉田さんは再婚せず現場の第一線から離れ
娘たちを育て上げたそうです。


瀬戸大橋に情熱をささげたんだ

仕事だけじゃなく、家族にも手を抜かないからすごいね
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