平成31年。
今年で平成という時代も終わりを迎えます。
新元号は4月1日に公表されるみたいですね。
今までの時代も元号発表時にはマスコミ各社がスクープ合戦を行ってきました。
1月10日放送の「直撃!シンソウ坂上SP」で平成が発表された時の模様が放送されるようです。
昭和や大正の時はどうだったのでしょうか?
平成、昭和、大正、それぞれを少し調べてみました。

スクープ合戦が始まるね

スクープを取った記者は出世するだろうし

今回はどうなるだろうね?
平成は発表30分前にスクープされていた?
1989年1月7日、14時36分。
「新しい元号はへいせいであります」当時の小渕恵三官房長官が発表しました。
このときには毎日新聞による「幻のスクープ」があったともいわれています。
各社が熾烈な取材を重ねている中、毎日新聞の政治部のデスケ(上司)から「おい、取れたぞ」との声が
毎日新聞社内に響きます。
それは元号のスクープのことでした。
その後社内ではすぐに発表するか、慎重に行くかの大激論が始まったといいます。
後程書きますが、昭和発表時に毎日新聞の前身にあたる会社で誤報事件を起こしているのです。
さすがに誤報が重なるととんでもないことになると、慎重になるのもわかる気がします。
その後、すぐに元号が発表されました。
ただ、全国紙の夕刊3版で唯一「平成」と掲載されたのでスクープには間違いないですね。
昭和の光文事件
昭和という元号が発表される前に毎日新聞の前身、東京日日新聞でスクープが報じられました。
大正天皇の崩御直後に発行された号外に「次の元号は光文と決定」と載せたのです。
これは東京日日新聞の政治部記者が極秘入手した情報とのこと。
しかし、その数時間後に発表された元号は「昭和」
世紀の大誤報ということになり、編集局の主観が辞任する事態となりました。
これはもともと光文が内閣案の一つでそれが途中で漏れただけという説と
宮内省がマスコミに元号をすっぱ抜かれたことに腹を立て、昭和に変更したという説があります。
大正
明治時代に新聞が相次いで創刊され、明治の次の元号もスクープ合戦になったといいます。
その時の勝者は朝日新聞。
政治記者記者の緒方竹虎が枢密院の顧問官を務めていた三浦梧楼と面識があり、その人から新元号を聞き出すこと
に成功したといわれています。
よほど親密だったのでしょうか?
緒方竹虎は出世し主筆まで上り詰め、その後政界に進出しました。
昔からスクープ合戦はあったのですね。
新元号はどうなるでしょう?
どこかのマスコミがスクープしたら微妙な空気になりそうな気もしますが。
新しい時代を静かに迎えるのもいいのでは?

新元号は何になるんだろうね?

もうすぐ発表かあ

初めのうちは慣れないだろうなあ
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