学生生活の不登校。
いろいろな話が聞こえてきます。
環境も人それぞれ違うので「正しい答え」というものがないと思うんですよ。
最近の調査では全国の中学生10人にひとりが不登校予備軍だと言われているのだとか。
昔も不登校の人がいましたが、無理にでも学校へ行かせるという親が多かったような
気がしますね。
8月26日放送の「逆転人生」では「受験全滅 不登校から大逆転」ということで
不登校だった人から不登校に悩む子や親たちへむけた新聞を発行するNPOの編集長
となった石井志昂さんが紹介されるようです。
どういう人なのか?
少し調べてみました。

不登校の問題は難しいよね

急いでは解決できないだろうしね
石井志昂
■『どうか生きてください』樹木希林が亡くなる直前、娘につぶやいた9月1日への思い
樹木希林さんの娘・内田也哉子さんと対談してきました。いやー緊張しました。樹木さんの最期、そして亡くなる間際につぶやいた『9月1日』への思いを聞いてきました。https://t.co/DJ537EnomE pic.twitter.com/usC21nt8gc
— 石井志昂 (@shikouishii) August 19, 2019
石井志昂さんは1982年生まれ、東京都町田市の出身です。
不登校になりそうな前兆は小学校5年生の時にすでにあったとのこと。
当時は中学受験のためにスパルタの学習塾に通っていて強いストレスを感じていました。
情緒不安定となり塾帰りに万引きやゴミ箱や小さなものを燃やしてしまうなど、問題行動を行ってしまう
こともあったそうです。
それだけストレスを抱え、勉強に励んで臨んだ中学受験でしたが、すべて不合格となってしまいました。
両親の落胆はひどく、石井さん自身も罪悪感と劣等感を感じながら公立中学に通うことになります。
そして中学2年生の時、学校特有のルールや上下関係、いじめ、教員の態度などを理由に
不登校となってしまったのです。
不登校新聞社
不登校となった同年にフリースクール「東京シューレ」へ入会します。
しかし、学校に行かないと楽になるどころか罪悪感や劣等感がさらに膨れ上がっていき
「生きていく自信を丸ごとなくした」と命を自ら絶つうことさえ考えたこともあったそうです。
16歳の時に転機が訪れます。
それは不登校新聞社との出会い。
不登校新聞社は日本で唯一の不登校に関する新聞として、98年に『不登校新聞』を創刊。
以来、1000名を超える不登校・引きこもり当事者経験者の声を掲載しています。
不登校新聞社には「子ども若者編集部」があり、不登校難度の当事者が記者として
編集や制作にかかわっているのです。
そこに興味を持った石井さんは著名人インタビューに自分でアポイントメントを入れて
写真撮影までこなしたり、韓国までスタッフと一緒に取材に行ったりとかかわるようになり
活動に楽しさを見出していきました。
現在は?
石井さんは19歳になると不登校新聞社代表に直談判し、NPO法人全国不登校新聞社が発行する『不登校新聞』の
正規スタッフとなります。
2006年、24歳の時に編集長に就任。
石井井さんにとって不登校は、自分の人生が広く切り開かれた契機だとのことでした。
不登校によって、自分のなかの軸のようなものが練られたような気がしているのだそうです。
勉強や学校生活で情緒不安定になっていた石井さんにとって
不登校から新たな人生が始まったといっても過言ではありません。


当事者だったからよく気持ちがわかるんだろうね

自分の経験を伝える事もできるし、話も親身になって聞けるもんね
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