3月20日の「土曜プレミアム・報道スクープSP 激動!世紀の大事件8」では
1996年に大阪堺市で起きたO-157集団食中毒が取り扱われるようです。
O-157という言葉を聞いたことがある人も多いことでしょう。
腸管出血性大腸菌O-157とは力の強いベロ毒素を産生する大腸菌の一種です。
これは初夏から初春にかけて注意が必要で
抵抗力の弱い幼児や高齢者が感染してしまうと重症化しやすいため注意が必要。
食中毒となったのです。
1996年にこのO-157の集団感染が起きました。
しかも集団食中毒は小学校で記、今までに類を見ない大規模な
どういうことなのでしょう。
少し調べてみました。
1996年7月
堺市役所の正面玄関前です。
病原性大腸菌O-157で亡くなられた児童を祀っています。
大変痛ましい事故ではありますが不可抗力であった部分も否めません。
それでも堺市は全面的に市の責任を認めこの様に1番目立つ場所に記念碑を建立しています。
堺市の対応は立派だと思いました。#堺市 pic.twitter.com/Cw5ogR6GAj— 吉田賢哉 (@Kenya_Yoshida) November 16, 2019
1996年7月13日、病院から市に「夜間診療で下痢や血便の症状の小学生
10人を診療した」と連絡がありました。
他の医療機関からの連絡もあり、市は学童の集団食中毒を疑い調査を開始します。
その時には市内33の小学校、児童255人が医療機関を受診していたそうです。
その後も下痢や腹痛などを訴える患者は急増し
13日の夜中には医療機関のベッドが満床となり応援を要請。
14日には患者から腸管出血性大腸菌O-157が検出され
病原菌は特定されます。
最終的には給食を食べた児童7892人、その家族などに2次感染がおこり
児童を含む9523人が罹患し、3人の命が失われました。

原因は?
こんなに大勢の人が感染したにもかかわらず感染原因は
特定されていないのだそうです。
O-157は潜伏期間が4日から8日と長くそのために
原因となった食べものの特定も難しいのだとか。
また、当時はO-157がそれほど認識されていなくて
給食のサンプルも3日で破棄されていたことから
原因もわからなかったのですね。
当初カイワレ大根が感染源のように発表されましたが
事実誤認で風評被害によりカイワレ大根がスーパーから消え
農家は大きな被害を受けるということもありました。

19年後に亡くなった人も
2015年、25歳の女性が亡くなりました。
この女性は1996年に小学一年生でO-157に感染。
入院後に症状は回復しましたが、食中毒から8年後の中学生の時に
後遺症の腎血管性高血圧にかかっていることが判明します。
女性は薬を服用しながら定期的に病院に通っていましたが
就寝中に嘔吐。
意識を失っているところを家族に発見され、病院に搬送されましたが
翌日に脳出血のため亡くなってしまいました。
堺市教育委員会では毎年7月12日を「O157堺市学童集団下痢症を忘れない日」と
しているそうです。


カイワレ大根農家の人も被害を受けたんだよね

最後まで原因は分からなかったんだ
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