日本パラリンピックの父中村裕とは?身体障がい者のスポーツ振興に尽力

TV番組

10月15日放送の「奇跡体験!アンビリバボー」では

日本にいた!パラリンピックの父と呼ばれた医師」が放送されます。

 

本当は今年開催される予定だった東洋オリンピック、パラリンピックは

来年の2021年に開催される予定です。

 

東京での開催は2回目。

前回は56年前になります。

1964年の大会は大成功を果たしましたが、その裏には一人の並々ならぬ尽力があったのです。

その人は医師の中村裕(なかむらゆたか)さん。

当時はまだ障がい者スポーツは今ほど普及していなかったため

パラリンピック開催のために力を尽くしたのですね。

 

どういう人なのでしょう?少し調べてみました。

 

昔は障がい者スポーツの意識はあまりなかったろうね

どういうきっかけでパラリンピックに関係するようになったのかな?

中村裕

中村裕さんは1927年に大分県別府市に生まれます。

 

父は開業医だったため、医者を目指し31歳の時には

国立別府病院の整形外科科長となりました。

 

当時の日本では脊髄損傷などで後遺症が残った患者は自宅や療養所などに引きこもって生活していて

社会生活を取り戻すリハビリテーションという概念はなかったそうです。

 

そこで中村医師は1960年5月、イギリスのストーク・マンデビル病院国立脊髄損傷者センターに留学。

日本では手術を受けた患者で社会復帰できる患者はほとんどいませんでしたが、この病院では

リハビリを受けた患者の85パーセントが半年以内に社会復帰していると聞き衝撃を受けます

 

その秘密を探るとスポーツを医療の中に取り入れ、体も心も強くなるということで

日本でも取り入れようと決意し帰国しました。

障がい者スポーツ

しかし、日本では治療は安静が中心。

スポーツをさせることには反対する人が多かったのです。

 

そこで中村医師は「大分県身体障害者体育協会」を設立し

1961年に「第1回大分県身体障害者体育大会」を全国で初めて開催します。

東京オリンピック後のパラリンピック開催も全国で説いてきましたが

反応はあまりよくありませんでした。

 

1962年、ストーク・マンデビル競技大会に自身の患者2人に参加してもらい

障害者スポーツをアピールします。

旅費がなかったため、自分の愛車を売り旅費にあてたそうです。

 

この日本からの競技大会参加は世界で報道され、日本で障害者スポーツをアピールすると

厚生省もリハビリテーションの推進に力を入れるようになり

中村医師の各地への説得の努力が実を結び、1964年東京での第2回パラリンピックの開催が決定しました。

 

ハイスピードプラン

東京パラリンピック

1964年東京パラリンピックが開催されます。

参加者は23カ国428名、中村医師は日本選手団団長に選ばれました。

 

日本は金メダル1、銀メダル5、銅メダル4という成績を上げましたが

ここでは自立していた外国人選手と保護されていた日本人選手の違いが大きな印象を残しました

海外の選手は健常者と同じような生活を送っていましたが

日本の選手はほとんどが自宅や療養所で保護を受けていたのです。

 

そこで 1965年に身体障がい者の職業的自立を目指す「社会福祉法人太陽の家」を別府市に創設

しました。

大分国際車いすマラソン大会」の開催を呼びかけたのも中村医師でした。

中村医師は日本の障がい者スポーツの発展に尽くしたのです。

 

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ちょっと一言

今はスポーツニュースで車いすテニスの結果を報道したりしているね

昔に比べ普及したんだろうね

 

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