6月26日放送の「爆報!THE フライデー」では謎解きクリエイター松丸亮吾さんが
戦後最大級の金融事件ミステリーを紹介します。
その事件とは謎の料亭女将が大手金融機関を手に取り被害総額2700憶円にもなった事件です。
女将の保釈金も7億円に上ったのだとか。
その料亭女将というのは尾上縫(おのうえぬい)。
「北浜の天才相場師」「謎の料亭女将」「バブルの女帝」など様々な異名を持つ人物です。
では、尾上縫はどのような人でどのような事件を起こしたのか
少し調べてみました。

バブル期の事件?

お金がたくさんあった時期なのかな?
尾上縫
バブル読了。バブル回顧本はこれで3冊目なんで、概ねザックリ理解できたかと。尾上縫の「上がるぞよ」には笑かされるけど、銀行マンがバブルに翻弄され過ぎてて泣けてくるなあと。 pic.twitter.com/SSImQuZw4m
— 税理士関川 (@ohsakafuming) January 1, 2017
尾上縫は1930年、大阪府生まれ。
19歳で結婚しますが、25歳で離婚。
離婚後は大阪ミナミのすき焼きやで仲居として働き、その時の客の支援で
30代半ばで料亭「惠川」の女将となりました。
隣には「大黒や」という料理屋も経営。
大黒やの中庭には不動明王の石像や灯篭、大きなガマガエルの石像が並び
ガマのおつげということで占いをしていました。
始めは競馬の占いで株の占いになっていきます。
バブル景気が始まるころには株式相場の予想が神がかり的に当たり
尾上が「株が上がるぞよ」と告げると実際に上がったそうです。
ただ、当時はバブルでほとんどの株が上がっていたということもあったのかもしれません。
証券マンたちも集まるようになり、「縫の会」と呼ばれるようになりました。
バブル
尾上は自らも融資を受け株式投資を始めます。
尾上のもとに営業に訪れた日本興業銀行の行員に対し、一度に10億円分の割引金融債ワリコーを
購入し度肝を抜いたという話もあります。
その10億円の融資から興銀(日本興業銀行)は融資を膨らませていき
1989年には融資残高が586億円にまで上り、不動産投資も勧め
資産管理を行なう「株式会社オー・エヌ・インターナショナル」を設立。
しかし、バブル景気に陰りが見えてくると尾上の資産運用は悪化していきました。
逮捕
そこで尾上は親交のあった東洋信用金庫に架空の預金証書を作らせ
その預金証書やワリコーを担保に様々な金融機関から融資を引き出しました。
尾上のバックには興銀がついているということがほかの金融機関の安心につながっていて
被害を広げたそうです。
1991年、尾上は詐欺罪で逮捕されます。
1992年に7億円の保釈金を払い保釈、破産宣告を受けますが
その時の金融機関からの借入金総額はのべ2兆7736億円、負債総額は4300億円という
驚くべき額でした。
尾上は1998年に2700億円の詐欺と背任罪などで懲役12年の実刑判決を受け、2003年に判決が確定。
判決が確定した時の尾上は73歳、初犯ということで仮釈放もあり出所して
2014年ごろに亡くなったそうです。

銀行もよくそんなにお金を貸したよね

バブルという時代もあったのかも
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