プロ野球、競技人口が減っているとか言われますがまだまだに人気は健在です!
シーズンが始まると優勝争い、メジャーリーグの大谷選手の活躍など話題も盛りだくさん。
そういえば、日本ハムは新球場を建てる予定だそうですね。
過去には高卒ルーキーでデビュー戦にノーヒットノーランを達成した選手がいたそうです。
その名は近藤真市選手。
1月28日放送の「1番だけが知っている」で紹介されるようですね。
どういった選手で現在は何をしているのでしょうか、少し調べてみました。

すごいね、一躍スター!

現在はこういう選手が出てくるのは難しいのかな?
近藤真市
生年月日 1968年9月8日
出身地 愛知県一宮市
身長 183cm
プロデビュー年 1987年
現役時代のチーム 中日ドラゴンズ
近藤さんが野球を始めたのは小学校4年生のころ。
中学校の一年生の時の秋ごろにはエースになっていたらしいですよ、才能の片鱗を見せていたのですね。
高校は享栄高等学校へ進学。
1986年、3年生の時には春と夏連続で甲子園に出場しています。
夏の甲子園では1回戦で15奪三振を奪うなど好投しましたが、惜しくも3回戦で敗退。
ただ、140キロ台後半のストレートや得意なカーブなどにより10年に一人の逸材と評価され、
ドラフト会議では5球団が一位指名で競合してました。
抽選の結果交渉権を獲得したのは中日ドラゴンズで、この球団に入団することになります。
その結果、伝説が生まれたのです。
デビュー戦でのノーヒットノーラン
ことが起きたのは1987年8月9日の読売ジャイアンツ戦。
このとき、就任2年目の星野監督はジャインツ戦に執念を見せ投手を使いすぎたため先発投手がいませんでした。
そこで前日に一軍に加わったばかりのルーキーに出番がまわってきたのです。
注目のジャイアンツ戦とあってだれもルーキーが先発だとは思わなかったことでしょう。
ジャイアンツの王監督も「近藤はないだろう」と語っていたそうで星野監督は裏を突いたことでしめしめと思って
いたそうです。
運命の8月9日の読売ジャイアンツ戦、近藤選手は高卒ルーキーのデビュー戦でのノーヒットノーランという偉業を
達成することになったのです。
近藤選手自身もヒーローインタビューで「大変なことをやってしまった」と語っていますしね。
この記録はプロ野球史上唯一だそうです。
年末には話題や活躍もあって、紅白歌合戦の審査員にも選ばれています。
近藤選手は1987年は4勝、1988年には先発ローテーションに加わりオールスター戦までに7勝と活躍しますが、
後半戦はひじや肩の故障に苦しみ1勝に終わってしまいます。
1989年には肩を手術。
その後、怪我の影響もあって勝利を挙げることができなくなり1994年に現役を引退することになりました。
現役引退後は?
現役引退後の1995年には中日の打撃投手兼スコアラーに就任、のちにスカウトに転身します。
2003年から一軍の投手コーチとして現場に復帰。
その後、投手陣の不振の責任を取り2018年限りで退任しました。
ちなみに息子の近藤弘基選手もプロ野球選手となり、外野手として中日ドラゴンズに所属しています。
ちょっと一言

すごい記録を作ったけど、長くは活躍できなかったんだね

怪我のせいかな、どんな選手でも怪我をするから怖いね
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