【ふしぎ発見】日本を冒険し日光を有名にした外交官アーネスト・サトウとは?同名の人も

TV番組

12月4日の「世界ふしぎ発見!」では

新しい日本の旅

明治時代のイギリス人が愛した美しきニッポン」が

放送されます。

 

明治時代の日本。

まだ現在と比べ物にならないほど旅をすることは

大変だったと思います。

移動手段も限られているでしょうし

道なども整備されていないでしょう。

しかも外国人となるととなおさら。

 

その明治時代に日本を愛し、旅をして

日光を有名にしたイギリス人がいたそうです。

その人の名前はアーネスト・サトウ

どのような人なのでしょう?

 

昭和の時代にも同性の人がいたそうですが。

どういう事なのか少し調べてみました。

 

明治時代かあ

旅も冒険だったんだろうね

アーネスト・サトウ

アーネスト・サトウは1943年に

イギリスに生まれます。

サトウというと佐藤さんが思い浮かびますが

スウェーデン出身の父親の姓で日本とは

関係がありません。

 

1862年、19歳のサトウは横浜に通訳見習いとして

着任しました。

幕末の時でしょう。

 

1884年にいったん日本を離れ

1895年に再び公使として日本に戻ってきます。

日本人女性と結婚し幕末に触れ

明治維新にも積極的にかかわり

幕末から明治の歴史をその目で見てきたため

様々な書物を著し、英国に日本を紹介してきました。

 

英国大使館の前には1898年にサトウの命によって

植えられた桜の木が今も美しい花を咲かせています。

日光

アーネスト・サトウは計25年間も日本に滞在し

日本の明治維新にも影響を及ぼし

日本を外国に紹介してきました。

 

明治時代、奥日光の中禅寺湖畔は避暑地として

注目され

多くの外交官や大使館の別荘が建てられたのだ

そうです

 

その発端を成したのはアーネスト・サトウ。

サトウは奥日光の自然と風景を愛し

1896年に個人別荘を建てたのですね。

ガイドブックでも日光を紹介しています。

 

この別荘はその後英国大使館別荘となり

2008年まで利用され

栃木県に寄贈された後、2016年に

英国大使館別荘記念公園して開園しました。

もう一人のアーネスト・サトウ

日本の歴史に名を残すアーネスト・サトウさんは

もう一人います。

 

1927年に日本人の父とアメリカ人の母の間で

生を受けたサトウは東京で育ちました。

 

戦後はアメリカにわたり写真家として

雑誌「ライフ」などで仕事をして

日本に帰国後は京都市立芸術大学で写真の技術などを

教え、そこから大勢の芸術家が羽ばたいています。

 

300年もの歴史のある京都の老舗旅館俵屋

11代目当主佐藤年の夫でもあります。

 

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ちょっと一言

幕末や明治維新のころにはいろいろな外国の人がいたんだよね

お抱え外国人とか呼ばれていたね

 

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