12月4日の「世界ふしぎ発見!」では
「新しい日本の旅
明治時代のイギリス人が愛した美しきニッポン」が
放送されます。
明治時代の日本。
まだ現在と比べ物にならないほど旅をすることは
大変だったと思います。
移動手段も限られているでしょうし
道なども整備されていないでしょう。
しかも外国人となるととなおさら。
その明治時代に日本を愛し、旅をして
日光を有名にしたイギリス人がいたそうです。
その人の名前はアーネスト・サトウ。
どのような人なのでしょう?
昭和の時代にも同性の人がいたそうですが。
どういう事なのか少し調べてみました。

明治時代かあ

旅も冒険だったんだろうね
アーネスト・サトウ
現在、横浜開港資料館では、江戸時代の日英関係を紹介する展覧会「七つの海を越えて」を開催中!展示に先だち、展示担当の吉崎さんがが幕末明治に活躍した外交官アーネスト・サトウ縁の地を訪れた記録を「幕末のイギリス外交官ゆかりの地をめぐる旅」と題して寄稿いただきましたhttps://t.co/t6s76O9gn6 pic.twitter.com/q4D0FQQSPv
— VisitBritain Japan (@VisitBritain_JP) October 21, 2021
アーネスト・サトウは1943年に
イギリスに生まれます。
サトウというと佐藤さんが思い浮かびますが
スウェーデン出身の父親の姓で日本とは
関係がありません。
1862年、19歳のサトウは横浜に通訳見習いとして
着任しました。
幕末の時でしょう。
1884年にいったん日本を離れ
1895年に再び公使として日本に戻ってきます。
日本人女性と結婚し幕末に触れ
明治維新にも積極的にかかわり
幕末から明治の歴史をその目で見てきたため
様々な書物を著し、英国に日本を紹介してきました。
英国大使館の前には1898年にサトウの命によって
植えられた桜の木が今も美しい花を咲かせています。
日光
1896年にアーネスト・サトウの個人別荘として建てられ2008年まで #英国大使館別荘 として使用されていた山荘。誰にも邪魔されない中禅寺湖からの風、さざ波の音、全てが完璧。 #日光 #湖畔 #広縁 #WilliamMorris 🕊️🍓 pic.twitter.com/hvm7XsCWRQ
— juniper (@juniper0116) August 30, 2018
アーネスト・サトウは計25年間も日本に滞在し
日本の明治維新にも影響を及ぼし
日本を外国に紹介してきました。
明治時代、奥日光の中禅寺湖畔は避暑地として
注目され
多くの外交官や大使館の別荘が建てられたのだ
そうです。
その発端を成したのはアーネスト・サトウ。
サトウは奥日光の自然と風景を愛し
1896年に個人別荘を建てたのですね。
ガイドブックでも日光を紹介しています。
この別荘はその後英国大使館別荘となり
2008年まで利用され
栃木県に寄贈された後、2016年に
英国大使館別荘記念公園して開園しました。
もう一人のアーネスト・サトウ
写真家 アーネストサトウさん
作品の余白の在り方は日本人そのもの…
とても素敵な作品で好み pic.twitter.com/F5vyLlEpGZ— mai (@okamoto2020) August 28, 2021
日本の歴史に名を残すアーネスト・サトウさんは
もう一人います。
1927年に日本人の父とアメリカ人の母の間で
生を受けたサトウは東京で育ちました。
戦後はアメリカにわたり写真家として
雑誌「ライフ」などで仕事をして
日本に帰国後は京都市立芸術大学で写真の技術などを
教え、そこから大勢の芸術家が羽ばたいています。
300年もの歴史のある京都の老舗旅館俵屋の
11代目当主佐藤年の夫でもあります。


幕末や明治維新のころにはいろいろな外国の人がいたんだよね

お抱え外国人とか呼ばれていたね
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