中川家はどうやって誕生した?パニック障害だった剛の恩人は明石家さんま

TV番組

8月8日放送の「人生最高レストラン」にはお笑いコンビ「中川家」の二人が登場します。

 

今回はコンビ結成の話をするようですね。

二人は本当の兄弟ですが、どうやってコンビを結成することになったのでしょう?

 

 

お兄さんの剛さんは一時期「パニック障害」で休養していた時期がありました。

当時はパニック障害という病名もあまり聞きなれない時代。

そんな剛さんの恩人が明石家さんまさんなのだそうです。

どういうことがあったのでしょう?

少し調べてみました。

 

さんまさんが恩人なんだ

なにをしたんだろう?

中川家

生年月日 剛 1970年12月4日  礼二 1972年1月19日

出身地 大阪府守口市

身長 剛 157cm 礼二 171cm

デビュー年 1993年

所属事務所 吉本興業東京本社

 

中川家の二人は実の兄弟。

 

吉本総合芸能学院(NSC)第11期で実力を認められ

在学中に「オールザッツ漫才」に中川兄弟として出演します

 

NSC卒業後の1993年に2丁目劇場で初舞台を踏み

1996年には第17回ABCお笑い新人グランプリ最優秀新人賞を受賞、関西で人気となります。

 

2000年ごろには東京でも名前が知れ渡るようになり、2001年には「第1回M-1グランプリ」で

チャンピオンとなりました。

 

その後もコンスタントに活躍し、「中川家チャンネル」でYoutubeでも活動しています。

結成

お笑いの兄弟コンビは「千原兄弟」や「ミキ」などいますが、珍しいと思います。

中川家はどうやって結成したのでしょう?

 

学校卒業後は二人ともサラリーマンをしていましたが

同世代の芸人がデビューするのに触発された剛さんが礼二さんを誘い

NSCに入ったそうです。

そのときに剛さんが友人を数人誘ったけど断られたため

NSCの入学願書に礼二さんの名前を書いて出したという話もありますね。

 

イメージ的には礼二さんが誘ってそうですけど、ネタ作りも剛さんですし

お笑いへの情熱はお互いすごいのでしょう。

 

ハイスピードプラン

明石家さんまは恩人?

剛さんは1998年ごろに「パニック障害」となりました。

「仕事に行きたくない」と拒否したり、漫才の最中に帰ったり

舞台袖から突然いなくなったり、電車にも長時間乗れず一駅一駅で降り呼吸を整えるため

30分だった大阪ー京都の電車移動が5時間かかるようにもなったそうです。

そのためにレギュラー番組もなくなってしまい、休むことになりました。

 

復帰後、大阪で少しずつ仕事を始め、東京での初めての仕事がさんまさん司会の「明石家マンション物語

公開オーディション企画で呼ばれ、さんまさんとしっかり仕事をするのはその時が初めてでした。

 

スタジオ横のスペースで剛さんがすごい緊張で震えているとさんまさんが一言

おお、パニックマン!!

ほかの人たちが「大丈夫?」と心配する中、さんまさんは

「パニック障害という病気なんやってな、なったもんはしゃあない。

俺もよくわからんけど。頭にPの文字を付けて人を助けに行くけど手が震えてパニックになるという

パニックマンというコントでもやったらええねん」

 

周りの人がどう接したらいいか迷っている中、さんまさんがイジったことで一瞬で

すべてがほぐれたのだとか。

その後「怖くて仕方なくても手が震えてもいい、黙るのが一番アカンから、何でもエエから言え。

前に出てきたら俺が何とかするから。何とかできへんかったらごめんな」と言ってもらい

普通に接してもらったことにより剛さんは救われたそうです。

 

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ちょっと一言

心配されるのもつらいと言うもんね

普通に接するのがいいんだろうね

コメント