【何だコレ】長野の国宝松本城の仕掛けとは?城主石川数正にも謎が

TV番組

9月30日の「世界の何だコレ!?ミステリー3時間SP」では

長野 美しき漆黒の国宝・松本城 隠された“恐怖の仕掛け”&設計した武将の謎」が

放送されます。

 

今回はあばれる君が国宝の松本城を調査するのだとか。

戦国時代に築かれた漆黒の城松本城。

松本城には敵を寄せ付けない恐怖の仕掛けがあるのだそうです。

 

この松本城を設計した武将にも大きな謎が存在。

設計した武将というのは石川数正のことだと思われます。

どのような謎があるのでしょうか?

少し調べてみました。

 

きれいだよね

周りの景色にに溶け込んでるよね

松本城

 

松本城は長野県松本市にある日本の城です。

 

1504年~1520年に築かれた深志城が松本城の始まりと言われています。

1590年には当時の松本城主小笠原秀政に代わりに石川数正が入城。

石川数正は息子康長とともに城郭の整備と城下町の拡充に着手しました

 

明治時代になり、1872年に天守が競売にかけられ解体の危機が訪れましたが

地元有力者により買い戻され難を逃れます。

1936年に国宝に指定され、戦後の1952年にも改めて国宝に指定されました。

 

姫路城、犬山城、彦根城、松江城とともに国宝に指定されている城の一つです。

恐怖の仕掛け

松本城は戦国時代の城なので、戦に関する仕掛けがあります。

 

壁には「鉄砲狭間(てっぽうざま)」「矢狭間(やざま)」とよばれる小窓があり

火縄銃や矢で敵を攻撃します。

松本城には115か所もこの小窓があるそうです。

 

石垣上には床を突き出すように設けた「石落(いしおとし)」とよばれる工夫もあり

敵が石垣を登り始めると鉄砲や石、熱湯や糞尿などを落とし攻撃できるようになっています。

 

ハイスピードプラン

石川数正の謎

城主だった石川数正にも謎があるようです。

 

石川数正は徳川家康が今川義元の人質だった時からそばにいて

家康の懐刀として、外交の交渉や合戦なので活躍していました。

1569年には岡崎城を拠点とする西三河の旗頭に任ぜられ、東三河の旗頭・酒井忠次と並ぶ存在となります

 

家康からの信頼も厚かった石川数正ですが

1582年、家康と羽柴秀吉が戦った小牧・長久手の戦いの翌年

数正は徳川から秀吉へ出奔したのです。

 

当時54歳、家康の重臣であった数正がなぜ裏切ったのかはわかっていません。

「秀吉にほれ込んだ」「秀吉から提示された条件に目がくらんだ」「家康と不仲になった」なども

言われていますが

信康の死が関係したのかもしれないとも言われています。

 

信康とは家康の長男。

数正は信康の後見役として成長を見守っていました。

信康は徳川家の後継者となることは確実で後見役である数正の将来も安泰だったでしょう。

 

しかし信康は家康の命により切腹したため

数正が怒りを覚えたとか発言力がなくなったという説です。

 

今回の番組で新しい発見はあるのでしょうか?

 

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ちょっと一言

自分のとこの秘密を知っている人が相手方に行くったら困るよね

家康も困ったんじゃないの

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