国宝松江城を築城した武将は明智光秀を打ち砕いた堀尾吉晴、城の仕掛けとは?

TV番組

7月22日に放送される「世界の何だコレ!?ミステリーSP」では「国宝・松江城の謎」が

放送されます。

 

島根県にある松江城は明智光秀の夢を打ち砕いたとされる武将が築いたのだとか。

明智光秀といえば大河ドラマ「麒麟がくる」で話題ですね。

収録は再開しているようですし、もう少ししたら放送も再開されるでしょう。

 

ところでその松江城は鉄壁の城。

「足を踏み入れると、生きて出てこられない」とも言われ

驚きの仕掛けがあるそうです。

どのような城なのか少し調べてみました。

 

明智光秀と戦った武将が築城したの?

豊臣秀吉じゃないよね?

松江城

 

松江城は宍道湖のほとりの標高28mの亀田山に築城を計画され

慶長12年(1607)に着工。

5年間にわたる難工事の末、慶長16年(1611)に完成しました。

 

城郭の広さは東西360m、南北560mもあり、周囲に幅20~30mの内堀をめぐらしています。

 

明治時代になると、天守を除く建造物は払い下げられすべて撤去されてしまいました。

天守も売却されるところでしたが、有志が買い戻し保存。

松江城天守は2015年に国宝に指定されています。

堀尾吉晴

 

明智光秀の夢を打ち砕き、松江城を築城した武将とは堀尾吉晴です。

 

堀尾吉晴の父は父は岩倉城主・織田信安の重臣で

1559年、織田信長との戦では初陣を果たし一番首を取りますが敗北し浪人となりますが

その後、織田信長に使えることになり、木下秀吉(豊臣秀吉)の家臣となります。

 

秀吉の部下として各地を転戦し、出世。

1582年の備中高松城攻めでは、敵将・清水宗治の切腹を見届け

本能寺の変の後の明智光秀との山崎の戦いでは羽柴秀吉軍の鉄砲頭を務め

敵将を討ち取るなどの活躍を見せました

 

秀吉の死後、1600年の関ケ原の戦いでは徳川家康の東軍につき

戦の功績により遠州浜松から出雲・隠岐24万石の大名として広瀬の月山富田城に入城します。

しかし、月山富田城は中世以来の山城で土地も狭く交通も不便だったため

松江城を築城することになりました。

 

堀尾吉晴は1611年に城が完成したのを見て67歳で死去しました。

仕掛け

当時はまだ戦乱の時代。

松江城にはいくつもの仕掛けがあります。

 

3階には屋根に通じる扉が設けられていて、敵を足止めするためではとの憶測もあり

外部から気づかれにくい構造の天守内部から鉄砲を発射するための鉄砲狭間

石垣を登ってくる敵に石や熱湯、汚物を落とす石落としも数多くあり

塩や食料を貯蔵していた地階には現存天守の中で唯一井戸が設けられていたそうです。

 

さすが鉄壁の城。

籠城の準備も万全だったのでしょう。

 

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ちょっと一言

一度見に行きたいね

お城見学もいいよね

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