ソウルオリンピックのマラソン選考会で代表を逃した悲劇の男とは?

TV番組

9月11日「マラソン グランド チャンピオンシップ 東京五輪代表を懸けた運命の決戦へ」と

いう番組が放送されます。

9月15日に「マラソン グランド チャンピオンシップ」というマラソン代表の選考会が

行なわれるのでマラソンに関したことが放送されるのですね。

 

そこでマラソン界のタブーとしてこれまで誰も触れることができなかった騒動のことが放送されるようです。

それは1988年のソウルオリンピックのマラソン代表選手選考で起きました。

代表選手の3枠目をかけた争いで泥沼のマラソン代表選考騒動になったそうです。

どういうことなのでしょう?

少し調べてみました。

マラソンの代表選考ってスッキリ決まらないんだよね

シンプルにいかないのかな?

1987年福岡国際マラソン

1988年のソウルオリンピックの代表選手を選考するために、日本陸上競技連盟(陸連)は強化指定選手の

福岡国際マラソンへの出場を義務化しました。

1987年12月の福岡国際マラソンで「福岡一発勝負」となったのです

 

当時はロス五輪代表の瀬古利彦選手、ライバルの中山竹通選手、宗兄弟

1986年の北京国際マラソンで日本最高記録をマークした児玉泰介選手

のちにオリンピックに出場する谷口浩美選手など2時間10分以内のタイムの選手がたくさんいたために

一発選考でないと決めきれなかったという事情がありました。

 

しかし、大会12日前にトラブルが起きます。

スター選手だった瀬古利彦選手が左足の腓骨骨折でレースを欠場することになったのです。

 

レース結果

瀬古選手の欠場ということで救済措置を求めるかで世論は割れます

そのとき、ライバルだった中山選手の「はってでも出てこい」というコメントが週刊誌に掲載され

物議を醸したそうです(これは「僕ならはってでも出る」と言ったといわれています)

 

福岡国際マラソンの結果、一位は中山竹通選手、2位は新宅雅也選手でこの二人はそのまま

オリンピック内定が決まりました。

 

問題はその次。

日本人3位、総合4位の工藤一良選手は経験不足ということで保留となったのです。

 

しみ込む豆乳

曖昧な選考

結局、陸連は瀬古選手に救済措置を与え、1988年3月のびわ湖毎日マラソンの結果を見てから

判断するということになりました。

 

びわ湖毎日マラソンを走った瀬古選手は見事優勝。

しかし、タイムのほうは福岡国際マラソンの工藤選手の方が早かったのです。

陸連は経験と実績を買い、3人目のオリンピック選手に瀬古選手を選ぶこととなりました。

 

補欠に回ることになった工藤選手は1993年で現役を引退。

現在は愛知製鋼陸上競技部の長距離のコーチを務めています。

 

このあいまいな選考に関して、陸連は選手や世間の人から非難されることになりました。

こういう出来事も陸連が一発選考のレースに二の足を踏んでいた理由の一つでしょう。

 

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ちょっと一言

揉めないで決めてほしいね

そういえば松野明美さんも揉めてたよね

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