【逆転人生】日本初の全盲弁護士竹下義樹とはどんな人?事務所は?

TV番組

地元では武闘派と呼ばれることもある弁護士の竹下義樹さん。

実は全盲なんですね。

弁護士になるまでも波乱があり、当初は視覚障害を理由に司法試験の受験が認められなかったそうです。

 

弁護士になった後も歴史に残る裁判で勝訴を勝ち取ったりと活躍をしてしています。

 

9月9日放送の「逆転人生」で「武闘派!日本初の全盲弁護士」として竹下さんが登場します。

では、どのような経緯で全盲弁護士のパイオニアとなったのでしょうか?

少し調べてみました。

健常者の人でも弁護士になるのは大変なのにね

パイオニアだしね、すごく苦労があったと思うよ

竹下義樹

 

竹下義樹さんは1951年に石川県輪島市に生まれます。

中学3年の14歳に相撲部のぶつかりげいこが原因で外傷性網膜剥離になり失明してしまいます。

20代までは光を感じ人の輪郭はわかりましたが、30歳前後で視力を完全に失ってしまったそうです。

 

それから盲学校に進み、マッサージ師になろうと勉強しましたが、物足りなく感じていました。

普通高校に通っている友達と高校3年生の時に進路の話をしたのですが、大学、就職と友達は

いろいろな進路があるのに自分は鍼灸マッサージ師しか選択肢がなかったからです。

その時、テレビや小説などで活躍している弁護士がかっこよく思え、「これだ!」と思い

高校3年生の時に友達に「弁護士になりたい」と公言しました。

 

盲学校卒業後、2浪して大学の法学部に入学します。

弁護士になるためには難関の司法試験に受からなければなりません。

 

当時点字受験はなかったのですが、同じ視覚障がい者の人たちが、全盲の竹下さんが点字受験できるよう

署名運動をしてくれ受験できるようになります。

点字では司法試験の勉強をする環境はまだ整っていない時代です。

そのため、ボランティアの人に「六法全書」などを点訳してもらい、専門書の音声化も手伝ってもらいました

この時の点字本は約200冊、音声テープは1000本にもなるそうです。

 

司法試験には9回目のチャレンジで合格し、その間に結婚、マッサージ師として学費や生活費を

捻出していました。

 

1981年に司法試験に合格した竹下さんは1984年に京都弁護士会で弁護士登録.

1994年に竹下法律事務所を開設し、2007年につくし法律事務所に改称しました。

 

裁判

竹下さんは暴力団の山口組組長を相手取った裁判で弁護団長をつとめて勝訴したことがあるそうです。

 

1995年8月、山口組系の下部組織の組員2人が抗争していた組の組員と勘違いし

警戒中だった私服警官を射殺します。

実行犯の2人は殺人罪で実刑。

 

そして、山口組の組長にも使用者責任を追求し、その責任を

最高裁に認めさせました。

その時の弁護団長が竹下義樹さんだったのですね。

 

DMM.com

つくし法律事務所

竹下義樹さんが所長を務めるつくし法律事務所は2011年に弁護士法人化され

東京事務所が開設されました。

 

現在は12名の弁護士と10名あまりの事務局スタッフで構成されていて

そこに司法書士事務所・税理士事務所・社会保険労務士事務所等のメンバーを加え

約50名の専門家のグループで活動されているそうです。

 

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ちょっと一言

やっぱりパイオニアというのは大変な困難が伴うんだね

いろんな人が力を貸してくれたんだね

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