とても長かったゴールデンウィークも終わりに差し掛かりました。
この休みを利用して旅行に出かけた人も多いのでは?
電車でのんびりと旅行するのもいいですよね。
ただ、現在では地方の人口減少や資金不足によって廃線となるところも出てきています。
かつて「草津温泉」と「軽井沢」を結んでいた鉄道もあったそうです。
避暑地と温泉地を結ぶ鉄道だから需要はあったのでしょうね。
しかし、60年前に廃線となっています。
5月8日に放送される「世界の何だコレ!ミステリー」では電車好き俳優の
六角精児さんが山奥に残る廃線跡を調査するのだとか。
どんな鉄道だったのでしょう?
少し調べてみました。

廃線跡とかノスタルジーを感じるよね

うん、ここも昔は栄えていたんだなとかね!
軽便鉄道
軽便鉄道とは通常の鉄道よりも規格を低く(軽量のレール、車両の矮小化など)
して安価に建設された鉄道で普通の鉄道により最高速度が低く輸送力も小さい鉄道です。
1906年の鉄道国有法公布後、資本家たちは利幅の薄さから投資先を鉄道事業から他事業へ
移し開業条件があまりに厳しいため、私設鉄道がほとんど建設されなくなっていました。
そこで政府は1909年に条件を大幅に緩和した「軽便鉄道法」を公布。
さらに1911年に「軽便鉄道補助法」を公布し、
軽便鉄道が北海道を除く全国に爆発的に普及していきました。
しかし、軽便鉄道は大量輸送能力に乏しく路線バスが普及してくると、
だんだん縮小していくことになります。
燃料不足の第2次世界大戦後には盛り返しましたが、自動車社会が訪れる1970年代まで
にはどんどん淘汰されていったそうです。
草軽電鉄
草軽電気鉄道デキ12型13号
軽井沢駅旧駅舎前に保存されているL字形の電気機関車で、愛称はカブトムシ。
その昔、この機関車が客貨車を引いて、軽井沢と草津を結んでトコトコ走っていたというと、なんとも長閑な風景に思われます。 pic.twitter.com/sEGUzzoZUm— 碓氷峠鉄道文化むら新商品開発プロジェクトチーム(新商品PT)ラックレールサブレ、ロクサン絵馬 (@sinsyohinPT) 2019年1月23日
草軽電鉄は群馬県の草津温泉と長野県の軽井沢を結ぶ軽便鉄道です。
会社創立の目的はスイスの登山鉄道に着想を経て軽井沢の避暑地や草津温泉へ
多くの旅客を運びたいというものでした。
1915年に営業が開始され、1926年に新軽井沢~草津温泉間全線が開業します。
全線開通後は「四千万尺高原の遊覧列車」をキャッチフレーズに、春はツツジ、秋は紅葉、
冬はスキーと宣伝して観光客の誘致に努め、草津温泉がラジオで流れた「草津節」により
全国的に有名になると草軽電鉄も大いににぎわいを見せ、旅客輸送も増大していきました。
廃線へ
時代は戦争に入りますが、草軽は硫黄の運搬なども手掛けていたため
フル稼働をしていました。
終戦直後の1946年に草軽電鉄はピークの46万人という乗客を記録します。
しかし、同年に国鉄長野原線が旅客営業を開始すると客は国鉄に流れ、道路の発達により
整備されたバス路線の方へも客は流れ草軽鉄道の乗客は減少していきました。
さらに1949年のキティ台風、1950年のヘリン台風、1959年の第7号台風による
吾妻川橋梁流失などの被害もあり、1960年には全盛期の約8分の1の5万6000人まで激減
してしまいます。
その後、周辺住民や地元自治体による存続運動もありましたが
1962年1月31日に草軽電鉄は47年間の歴史に終焉を迎えることとなったのです。
六角精児さんの廃線跡をたどる旅。
昔の映像も放送されるみたいなのでとても楽しみです。


何か残っているのかな?

どんなところを通っていたのか楽しみだね
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