勝新太郎の14億円の借金はなぜ?映画監督の黒澤明とケンカ?【中村玉緒】

TV番組

 

2月13日放送の「直撃!シンソウ坂上」では名俳優の勝新太郎さんと

奥さんの中村玉緒さんの特集があるそうです。

 

勝新太郎さんといえば昭和の大スター

破天荒で有名でいろいろな出来事がありましたね。

 

なんと14億円もの借金があったのだとか。

そのよう膨大な借金はどうやってできたのでしょう?

ほかには「世界のクロサワ」と呼ばれた黒澤明監督との大げんかもあったそうです。

どういうことなのでしょう?少し調べてみました。

 

黒澤明監督とケンカをしたんだ

両方大物だし意見が合わなかったのかな?

勝新太郎

勝新太郎さんは1931年東京都深川生まれ。

 

23歳の時に大映京都撮影所と契約し、1954年の映画「花の白虎隊」でデビューを果たします。

なかなか人気が出ませんでしたが、1960年「不知火検校」で注目を浴び

座頭市」「悪名」シリーズで人気を不動のものとしました。

 

当時は日本一ギャラの高い俳優といわれていたそうです。

「悪名」撮影時のギャラは1本500万円で現在の価値では一億円近いのだとか。

番組の司会者である坂上忍さんとも1974年「座頭市物語」の第2話で

当時7歳の子役だったときに共演しています。

 

1970年代後半になると大麻で書類送検されたりとトラブルも増えていくことになりました。

1990年にはハワイのホノルルで下着にマリファナとコカインを入れていたとして現行犯逮捕され

翌年に帰国した日本でも麻薬及び向精神薬取締法違反の容疑で逮捕されます。

このアメリカで逮捕されたときに「もうパンツをはかないようにする」という有名な言葉が出てきたのです。

 

1996年7月に下咽頭癌を発病し、抗癌剤と放射線の治療を行っていましたが

1997年6月21日に65歳で亡くなりました。

 

中村玉緒

 

勝新太郎産の奥さんは中村玉緒さん。

二人は大映時代に共演をしていて、1962年に結婚しました。

 

中村玉緒さんは1939年生まれ。

 

1953年に「景子と雪江」で映画初出演を果たし、翌年に大映へ入社。

1990年代半ばあたりからはバラエティ番組によく出演するようになり

明石家さんまさんとの共演が目立ちました。

 

1990年からは着物のデザインを開始し、「玉緒の着物」というブランドを発表しているそうです。

借金やケンカ

勝新太郎さんは14億円という莫大な借金を背負っていたようです。

なぜそんなに借金ができてしまったのでしょう?

 

まず一つには勝さんの派手な金遣い、破天荒な生活がありました。

毎日のように飲み歩いていて誰彼構わず誘気づけば100人以上になっていた時もあったとか。

1年間の飲み代は一億円を超えていたそうです。

 

でも、一番の理由は妥協がない映画づくりでした。

1967年に勝プロダクションを設立し自ら映画製作に乗り出します。

気に食わないシーンは何度もとり直し、驚くようなお金を映画製作につぎ込んでいたため

1981年に12億円の負債を残し勝プロダクションは倒産してしまいました。

 

あの世界的な黒澤明監督ともケンカをしたそうです。

1979年、黒澤監督の映画「影武者」の主演のオファーが届きました。

その時は黒澤監督も勝さんも喜んでいたようですね。

 

しかし撮影が始まると二人の撮影スタンスの違いから対立が起きたのです。

勝さんは役作りの参考にしようと現場にビデオカメラを持ち込みましたが

黒澤監督はこれを許さずに注意すると勝さんは現場から立ち去ったそうです。

 

翌日、勝さんの降板を発表。

黒澤監督は「監督が2人いたのでは、映画は撮れない」といったのだとか。

お互い譲れない部分があったのでしょうね。

 

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ちょっと一言

今だとあまり破天荒な役者さんはいないね

いろいろ厳しくなったからね

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