6月24日に放送される「ファミリーヒストリー」に登場するのは女優の賀来千香子さん。
賀来家のルーツは大分にあり、800年も前にさかのぼるそうです。
中でも幕末に快挙により全国に名をとどろかせた人がいます。
その人は名前は賀来惟熊さん。
この人は民間で初めて鉄製の大砲を作ったのだそうです。
しかし、自ら破壊し製造を中止します。
なぜなのでしょう?
それと賀来千香子さんの甥っ子は今を時めく俳優の賀来賢人さんです。
息子と思っている人もいそうですが。
そこで賀来惟熊さんや賀来賢人さんとの関係について少し調べてみました。

へ~、由緒正しき家なんだね

私も初めは息子だと勘違いしてたよ
賀来千香子
生年月日 1961年10月17日
出身地 大阪府枚方市
身長 165cm
デビュー年 1979年
所属事務所 テアトル・ド・ポッシュ
賀来千香子さんは高校生のころ、モデルとしてスカウトされ芸能界入りを果たします。
デビュー当初は女性ファッション雑誌「JJ」の専属モデルを務めていたそうです。
女優としてデビューしたのは1982年にドラマ「白き牡丹に」でです。
しかもドラマ初出演にして初主演という好待遇での女優デビューでした。
それから、ドラマに映画にCMにと数々の作品に出演していき、1992年には代表作ともいえる
ドラマ「ずっとあなたが好きだった」が好きだったに出演します。
このドラマで佐野史郎さん演じるマザコンの冬彦さんが流行語にもなり、話題となりましたね。
プライベートでは俳優の宅麻伸さんと1994年に結婚しますが、2012年に離婚しています。
賀来千香子さんは現在も女優として活躍中です。
賀来惟熊
佐田神社。幕末、この山奥の村落が自分達の力で反射炉を築いて大砲を鋳造していたという。反射炉に使われたレンガが残っている。 pic.twitter.com/aHBWb4plmM
— masaya@さらにいくつもの (@masaya_hr) 2019年4月13日
賀来千香子さんのルーツである賀来惟熊さんは寛政8年(1796年)に豊前宇佐郡の庄屋の家に生まれました。
自費を投じて造林や水利事業を推進し、地域の殖産に尽力したあと、大砲の製造に取り掛かることになります。
当時は幕末でアメリカやロシアなどの列強が船で貿易を求めてやってくるようになり、その圧力に対抗するため
幕府は海防の強化を諸大名に命じたのです。
嘉永2年(1849年)、日出藩の注文を受けまずは小型の青銅砲を製造しました。
そして嘉永6年(1853年)に島原藩の命を受け、鉄製の大砲の製造に着手します。
安政2(1855)年に苦心の末、幕府による援助もなく民間で初めて佐田神社境内に反射炉を建設。
反射炉とは鉄の精錬のために使われた施設ですね。
それから安政4年(1857年)までに8問の大砲を作ったといわれています。
しかし慶応2年(1866)に賀来惟熊さんは佐田の反射炉を取り壊してしまいました。
その理由は1865年の第二次長州征討など豊前地方全域が政情不安な時期であり、
政局争いに巻き込まれないために反射炉を壊したのでは、と言われているそうです。
賀来賢人
俳優の賀来賢人さん、去年はドラマ「今日から俺は」でも話題となりましたね。
そんな賀来賢人さんは賀来千香子さんの甥っ子、賢人さんのお父さんが千香子さん
のお兄さんなんだそうです。
賀来千香子さんが独身だったころは同居していたこともあったそうです。
そんな二人は2011年のドラマ「アスコーマーチ!」で共演しています。
ただ賀来賢人さんが女装しているシーンだったそうで、「凄い恥ずかしかった」と
当時を振り返っています。


この番組見ていると自分の祖先とかも気になるよね

たしかに、でも祖父母くらいまでしか知らないな
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