柔道金メダリスト山下泰裕を超える世界最強だった天才とは藤猪省太!

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山下泰裕さんと言えば柔道界のレジェンド、世界の山下と呼ばれています。

1984年ロサンゼルスオリンピックで金メダル世界柔道選手権を

3連覇するなどすごい実績の持ち主です。

現在は全日本柔道連盟の会長や日本オリンピック委員会理事などを務めています。

JOC会長の後任候補に名前が挙がっているとの噂もありますね。

 

しかし、その山下泰裕選手より上の世界選手権4連覇を達成した選手がいたのです。

その選手とは藤猪省太選手。

3月17日放送の「消えた天才」で出てくるみたいですね。

藤猪選手は世界最強とうたわれていましたが、オリンピックとの縁がありませんでした。

なぜでしょう?少し調べてみました。

 

山下泰裕選手ってアニメのYAWARA!に出ていたね

それだけ有名な選手だったんだよ

山下泰裕

1957年生まれの山下選手は小学3年生の時に道場に入門し、柔道を始めます。

中学3年生の時に全国大会優勝、高校一年生の時にインターハイ重量級で

史上初の1年生優勝を果たすなど優秀な成績を残していき

1977年の全日本柔道選手権大会では19歳にして史上最年少優勝を果たし

「怪物」と呼ばれるようになりました。

その後1979年、1981年、1983年と世界選手権を連覇

1981年のオランダのマーストリヒトで開かれた世界選手権では95 kg超級、無差別級

オール一本勝ちをし2階級を制覇しています。

1984年のロサンゼルスオリンピックでは右ふくらはぎに肉離れを起こしながら金メダルを獲得

1984年には国民栄誉賞も授与されますが、怪我が完治しなかったことから1985年に

28歳という若さで引退を決断することになりました。

引退後は指導者、日本オリンピック委員会理事、全日本柔道連盟会長など

多方面で活躍中です。

 

ではその山下選手より世界柔道選手権では上の実績の藤猪省太選手は

どのような選手だったのでしょう。

藤猪省太

1950年生まれの藤猪省太選手は、小さいころ相撲取りになりたかったそうです。

体を大きくするために中学校で柔道部に入り、柔道を始めて半年後の一年生の時に

昇段試験にも通るような実力者となります。

その後天理高校から天理大学へ進学。

高校時代などは修行僧のような柔道生活を送っていたそうです。

 

ただその努力が報われて世界選手権4連覇という偉業を達成したのですね。

1971年のルートヴィヒスハーフェン大会、1973年のローザンヌ大会、1975年のウィーン大会

この3大会は80kg級で、1979年のパリ大会では体重区分の変更があり 78kg級で優勝しました。

外国人選手とは150人以上と戦い無敗!

 

現在は天理大学体育学部教授となっています。

U-NEXT

なんでオリンピックには出てない?

世界選手権4連覇というと4回も世界一になったということなので

オリンピックでメダルを獲得してもおかしくはないと思われます。

しかし藤猪選手はメダルどころか、オリンピックに出場すらしていないのです。

まず1976年のモントリオールオリンピック。

この大会はひじを故障してしまい選考会に合わず落選してしまいます

故障というのはスポーツ選手にはつきものですから仕方がないかもしれません。

 

しかし、次の1980年モスクワオリンピックでは世界情勢や政治によってオリンピック

に出られませんでした。

日本を含め50か国ほどがアメリカのカーター大統領の呼びかけによってオリンピック

をボイコットしてしまったのですね。

藤猪選手は金メダル獲得も期待されていましたが、オリンピックに出場することなく

現役に幕を閉じたのです。

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ちょっと一言

オリンピックでメダルを獲得するためには実力だけでは取れないんだね

運やタイミングといった要素も必要になるかもしれないね

 

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