7月30日放送の「奇跡体験!アンビリバボー」では「仰天家族&奇跡の5つ子2時間SP」が放送されます。
奇跡の五つ子というのは「ディオンヌ家の5つ子」のことでしょう。
カナダ・オンタリオ州で夫妻に、一卵性の5つ子が誕生します。
五つ子ということで経済的な面に頭を抱える父親ですが、そこにオファーが来たのです。
シカゴ万国博覧会の運営陣が、5つ子を半年間万博に出演させることを条件に5千ドルの契約金を提示
してきたのですね。
父親はサインしますが、人道的に見過ごせないとオンタリオ州政府が父親の親権を2年間限定で
州政府に譲り渡すことにしました。
だが、五つ子の両親が「奇跡の5つ子の両親」としてアメリカ各都市を回る興行ツアーを敢行したため
「子供を金もうけに利用している」と批判が起こり
「州政府が実質的に両親から親権を剥奪」「5つ子が18歳になるまで政府と後見人が親権を持つ」
という異例の法案が成立することになったのです。
後見人となったのは五つ子が生まれた際に懸命に看護したデフォー医師。
欲が深い両親から引き離されデフォー医師のもとで五つ子は幸せに暮らしている
誰もが信じ感動しました。
しかし、実態は違っていたのです。
なにがあったのでしょう?少し調べてみました。

幸せに暮らしていなかったの?

ほかの人にお金儲けの手段として使われたとか?
五つ子
【今日の墓碑銘】
1954年8月6日。エミリー・ディオンヌが死去。「ディオンヌ家の五つ子姉妹」の一人。カナダに誕生。世界恐慌時代の不屈の精神のシンボルとして注目を浴びる。全員が幼児期以降まで成長した世界初の事例としても有名。映画や小説など大衆文化の題材にもなった
(20歳・癲癇) #生寄死帰 pic.twitter.com/6uwi7NzULL— 義視 (@kamo1868) August 5, 2018
1934年5月28日、五つ子姉妹のイヴォンヌ、アネット、セシル、エミリー、マリーは
カナダのオンタリオ州近郊の農家に生まれます。
予定よりも2か月早く生まれた五つ子はとても小さかったのですが
デフォー医師と二人の助産婦により助かりました。
現在でもそうですが、当時の五つ子はとても珍しく
すぐに有名になり、「奇跡の五つ子」として注目を浴びるようになります。
親権剥奪
五つ子ということで経済的に困難になると感じた父親オリヴァは
シカゴ万国博覧会の運営陣から半年間万博に出演させるというオファーを受けサインし
五つ子を全世界の人の見世物にしようとしたのです。
当時は赤ちゃんが展示会などで展示されることはそんなに珍しいことではなかったのだとか。
そこでオンタリオ州政府は五つ子の神経を2年間限定で州政府に譲り渡すこととし、万博での
展示の話はなくなります。
その後は両親が「奇跡の5つ子の両親」としてアメリカ各都市を回る興行ツアーを敢行したことから
五つ子の親権を18歳まで政府と後見人が持つという「ディオンヌ家の五つ子後見法」を
議会で通過させました。
ビジネスに利用
五つ子はデフォー医師の監視のもと、3人の教育係と専用の保育所で育つことになります。
欲が深い両親と離され幸せになる予定でしたが。
五つ子は珍しいということで研究対象になりました。
さらにコーンシロップやシリアルなどの広告モデルに使われたのです。
デフォー医師は五つ子のビジネスにより裕福になっていきます。
地元の遊園地がリニューアルすると五つ子はマジックミラーの部屋に展示され
毎日6000人もの見学者が来たそうです。
後見人や政府も両親と同じように五つ子を「金のなる木」とみていたのでした。
1943年、五つ子は両親のもとに戻ることになります。
成長するにつれ五つ子への人々の関心も薄れていき、両親も愛情を示さず父親から性的虐待を
受けたこともあったそうです。
五つ子は19歳で家を出て、両親との連絡を一切絶つことにしました。
異常な子供時代を送っていたため、精神的な問題など様々な問題を抱えてしまったそうです。
1954年エミリーがてんかん発作で亡くなり、1970年にはまr-が脳血栓により亡くなりました。
残った3人の姉妹は1997年にオンタリオ州政府に対し、幼少期の搾取に対する損害賠償請求の裁判を起こし
400万ドルの和解金を受け取ることになりました。



大人はみんなお金としてしか見ていなかったんだろうね


かわいそうだね
コメント