フィリピンの独裁者マルコス大統領の妻イメルダ夫人の暗殺未遂と現在は?

TV番組

世界には独裁者と呼ばれる指導者がたくさんいます。

フィリピンのフェルディナンド・マルコス元大統領もその一人でしょう。

 

そのマルコス大統領の奥さん、イメルダ夫人がテレビで取り上げられるようです。

その番組は4月15日放送の「1番だけが知っている

世紀の悪女と言われたイメルダ夫人の暗殺未遂の瞬間の映像が流れるようです。

イメルダ夫人は現在も存命中、今は何をしているのでしょう

イメルダ夫人の歴史とともに調べてみました。

 

名前は聞いたことあるなあ

デビィ夫人とも知り合いらしいよ

イメルダ・マルコス

1929年、イメルダさんは弁護士の父の家で生まれます。

当時フィリピンはアメリカの植民地でした。

ただ、家庭は裕福ではなかったようです。

 

イメルダさんは1951年に大学を卒業し、地元の中国人学校の教員を務めることになりました。

その後は秘書や歌手として働きながら数多くのミスコンテストに出場し

いくつものタイトルを獲得。

1953年3月、「ミス・マニラ・コンテスト」しましたが結果は次点となり、

主催者の市長に怒鳴り込み、特別賞を新設させました。

この騒動は新聞に載り、フェルディナンド・マルコスさんは

この件でイメルダさんを知ったそうです。

二人が出会ったのは1954年4月、マニラでのこと。

当時当時史上最年少で下院議員となったマルコスさんはイメルダさんに執拗に迫り、

出会ってわずか11日で結婚契約書にサインさせたそうです。

これで政治家の妻、イメルダ夫人となりました。

大統領夫人となり、その後失脚

1965年12月、夫が大統領選で勝利しマルコス大統領となりイメルダ夫人も

大統領夫人となりました。

マルコス政権の初期のころは経済を成長させ、インフラも整備され

実績を地積んでいきました。

しかし、政権が続くと次第に圧政に傾いていったのです。

自分に反対するものは弾圧していき、1973年に戒厳令を布告

議会を停止して反マルコス派を一斉に逮捕していきました。

さらに巨額の横領を重ね、政治も腐敗していきます。

 

その中でイメルダ夫人が暗殺されそうになったのは1972年12月7日。

全国美化清掃運動表彰式の最中に刃物を持った暴漢に襲撃され

両手を75針も縫う手術を受けるほどの大けがを負ってしまいます。

犯人は警官に射殺されましたが、一部始終テレビで生中継されていたそうです。

 

1983年8月21日、国民に人気でマルコス政権に批判的なためアメリカに追放されていた

ベニグノ・アキノ上院議員が帰国直後、飛行機のタラップを降りた直後に射殺されます。

この事件がマルコス政権の終焉につながっていったのです。

反マルコスデモがフィリピン各地で起き、政情不安により経済のマイナス成長も始まります。

このころマルコス大統領は病に伏していて、イメルダ夫人が取り仕切る用意なりますが

取り巻きたちは汚職を繰り返し、民衆の反発はますます大きくなっていきました。

 

1986年2月7日、マルコス大統領は非難をかわすために大統領選挙を行います。

アキノ上院議員の未亡人コラソン=アキノさんが当選したはずでしたが

自分が当選と開票操作を行った明らかな不正選挙を行ったため不満が爆発

軍の高官などにも見捨てられてしまうこととなり

マルコス夫婦とその一族はアメリカのハワイに亡命せざるを得なくなりました。

イメルダ夫人が去った後の宮殿には、1060足の靴、15着のミンク・コート

508着のガウン、888個のハンドバッグが残されていたそうです。

この靴はイメルダ夫人の浪費の象徴ともなっていますね。

wowow

現在は?

1989年、マルコス大統領は亡命先のハワイで亡くなります。

イメルダ夫人は1991年に帰国しますが、直後に脱税と贈収賄の疑いで逮捕。

89歳の現在は政界に復帰し、下院議員を務めています

マルコス政権は弾圧などで反マルコスの感情が残っていますが

反対に初期の経済成長や外交などの功績で根強い支持もあるそうです。

現にマルコス大統領の息子は上院議員、孫は地方議員を務めています。

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ちょっと一言

89歳で議員をやっているんだ

バイタリティがすごいね

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