月6日放送の「新説!所JAPAN」では人気の歴史ミステリーシリーズが放送されます。
今回は「信長暗殺ミステリー犯人は忍者?磯田解説&芭蕉忍者説に迫る」だそうですね
伊賀忍者と言えば、現在でも神秘的な存在。
黒装束を着て超人的な身体能力で壁をすべて飛び越え、様々な忍術を駆使し
相手を打ち破るという印象がありませんか?
映画とか漫画とかには出てきますし。
でも、このイメージは江戸時代の歌舞伎によってつくられたそうです。
実は忍者というのは不明な部分が多いのだとか。
俳聖と言われる俳句の松尾芭蕉も忍者だったという説もありますし。
あの織田信長も忍者に暗殺されそうになったことがあったのだとか。
どういうことなのでしょう?少し調べてみました。

忍者のイメージは素早くて身軽というのがあるね

あと忍術かなあ、火遁の術とか
天正伊賀の乱
天正伊賀の乱とは織田軍と伊賀衆の戦。
侍と忍者が戦ったことがあったのですね。
織田信長の次男、織田信雄は伊賀を狙っていました。
1578(天正6)年、信雄は家臣の滝川雄利に伊賀攻略の拠点となる丸山城の修築を
命じますが、それに気付いた伊賀衆は信雄軍を追い返します。
そこで信雄は1579(天正7)年に信長に無断で8000の兵を率いて
伊賀に攻め込みますが、伊賀衆の錯乱作戦や奇襲などのゲリラ戦法により敗北
無断で出陣し甚大な被害を被ったことにより信長も激怒したのです。
この第一次天正伊賀の乱での敗退により、信長は伊賀の忍者への警戒心を強めることになります。
第二次天正伊賀の乱は2年後の1581(天正9)年。
織田信長自らが約4万5千の兵を引き連れ、伊賀へ攻め込みました。
伊賀衆も抵抗しましたが、約3週間で伊賀の村や寺院は焼き払われ
焦土になったと言われています。
織田信長暗殺未遂
松江城鉄炮隊初撃#松江城 #鉄炮隊 #火縄銃 pic.twitter.com/gpLyuhQnrP
— minami (@seasonal_tweet) January 2, 2020
織田信長は何度か暗殺されそうになりましたが、伊賀忍者も織田信長の命を狙っていました。
信長の命を狙ったのは城戸弥左衛門。
「音羽の城戸」と呼ばれ、伊賀の忍術名人11人のうちの一人で火縄銃の名手でした。
一度目の暗殺は第一次天正伊賀の乱の後。
農民に変装し、琵琶湖のほとり膳所を通る信長を狙撃しますが
さしていた朱の傘の柄にあたり失敗。
2度目は伊賀を平定し、視察に来たところを狙います。
原田木三、印代判官と3人で大鉄砲で狙いますが、周りの家来数名に当たり
信長自身は無傷でした。
城戸弥左衛門はその後、昔の部下から密告され信長に捕まり自刃したそうです。
松尾芭蕉は忍者?
俳人の松尾芭蕉ですが、昔から忍者説が出ていますね。
それはなぜなのでしょう?
まず、出身が伊賀であること。
そこで苗字を持っているので位が高いのでは?とも言われています。
さらに有名な「おくのほそ道」の旅の日程です。
松尾芭蕉の移動速度が常人離れしているともいわれ、さらに当時の旅は莫大な旅費が掛かったはずなのに
何度も旅をし、その旅費をどう工面したかも謎です。
そこで密偵説も出ていますね。
俳句の創作活動を名目に各地の情報を探る。
これだと費用も支給されたでしょうし。
実際はどうだったのでしょうか?今回の番組で何か新しいことが出てくるのかもしれません。


松尾芭蕉は神秘的な人だからね

いろいろな話が出てくるのも
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