9月11日放送の「爆報!THE フライデー」では
「実録!本当にあった怖いミステリーSP」が放送されます。
その中で「東大ベンチャーミステリー」というものも放送されるようです。
東大ベンチャーといえば今流行り。
そしてその元祖ともいえるのが天才山崎晃嗣なんだとか。
山崎は東大在学中に画期的なビジネスを生み出し大儲けをします。
しかし、一つのミスから崩壊が始まっていったのです。
この話は「光クラブ事件」のことでしょう。
どんなことがあったのか少し調べてみました。

天才が事件を起こしたの?

最後は崩壊?
山崎晃嗣
【今日の墓碑銘】
1949年11月24日。山崎晃嗣が死去。光クラブ事件の首謀者。東京大学在学中に貸金業「光クラブ」を起業し社長を務める。学生中心の経営方式が注目されるが物価統制令違反で摘発され自殺。いわゆる「アプレゲール犯罪」の典型(26歳・服毒) #死は生を最後に完成させるもの pic.twitter.com/XElIn2ebos— 義視 (@kamo1868) November 23, 2017
山崎晃嗣は1923年に千葉の名家に生まれます。
猛勉強の末に1942年に東京帝国大学法学部に進学。
しかし、当時は戦時中。
山崎も学徒出陣で陸軍主計少尉となり、北海道の旭川の舞台に配属となり終戦を経験します。
その部隊では終戦時に上官が米などを横流ししていて、山崎もそこに加わりますが
検挙され、上官をかばい懲役1年半執行猶予3年の実刑判決を受けました。
しかも上官が約束した分け前はなく、警官から虐待されこのことは
山崎の人生観に影響を与え、「人間はもともと邪悪で卑劣」という考えを持つようになりました。
光クラブ
光クラブ事件でよく使われるクレジットのない広告塔の写真はこの事件に関連した映画のスチルではないかと疑っていた。事件が起きた後なら撤去されるし、フィルムがまだ貴重な時代に広告塔の写真をわざわざ撮るのは不自然という理由。だが同時代に有楽町の広告塔を同じ仰角から撮影していたのが土門拳 pic.twitter.com/aaOy5c0kTn
— みぞぐちカツ (@chocoramastudio) December 27, 2018
東大に復学後は成績で「全優」を目指し、分刻みのスケジュールを作成。
結局目標は達成できませんでした。
1948年になると友人と「光クラブ」という貸金業を設立。
高配当で資金を集め、さらに高利で中小企業に貸すという仕組みです。
光クラブは新聞などの斬新な広告に力を入れ、さらに学生中心で運営しているということから注目を浴び
株主は400人、従業員は30人までの規模に成長していきました。
崩壊
山崎は1949年に物価統制令違反容疑で逮捕されます。
物価統制令とは戦後のインフレ対策として公布された勅令です。
のちに不起訴となりますが、社長が逮捕されたことから光クラブの信頼は失墜。
債権者が押し寄せてきました。
山崎は支払いの約束をしますが前日までに資金を工面できずに
社長室で青酸カリを飲み、服毒自殺をしたのです。
三島由紀夫の「青の時代」はこの事件がモデルとなっています。
実は三島由紀夫と復学した山崎は同学年。
同じ授業を受けたこともあり、交流があったかもしれないといわれています。

高利貸しだったんだ

いまだとヤミ金?
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