本能寺の変の秀吉黒幕説とは?中国大返しは驚異的な速さだった?

TV番組

 

6月29日放送の「所JAPAN」では「本能寺(秘)秀吉黒幕説」が放送されます。

 

これは明智光秀が織田信長を討った本能寺の変は豊臣秀吉と明智光秀が

裏でつながっていて起こしたという説です。

この説は秀吉が光秀を討った「中国大返し」の速さが驚異的だったため

はじめから秀吉が謀反を起こすのを知っていたのでは?ということから出た説のようですね。

 

そんなに「中国大返し」は早かったのでしょうか?

所JAPANは本能寺の変関連が多いような気がしますね。

まあ、それだけ謎が多くて人気ということなのでしょう。

そこで秀吉黒幕説について少し調べてみました。

 

そういう説もあるんだ

歴史はいろいろな見方があるから面白いね

中国大返し

 

中国大返し(ちゅうごくおおがえし)とは秀吉軍の強行軍。

 

秀吉が毛利家の備中高松城を攻めていた時に明智光秀により

本能寺で織田信長が自害したことを知ります。

そこで毛利と和睦し、光秀討伐のため軍を戻しました

 

備中高松城から山崎までおよそ200キロを10日間ほどで踏破した戦国屈指の強行軍となり

山崎の戦いで明智光秀を討ち、天下に上っていくことになります。

秀吉黒幕説

光秀の謀反に秀吉が関与していたという「秀吉黒幕説」というものがあるそうです。

それは秀吉がスムーズに光秀を討ったからでしょう。

初めから謀反を知っていて準備をしていたというのです。

では、中国大返しの謎を見ていきたいと思います。

 

ハイスピードプラン

中国大返しの謎

まず秀吉はどうやって信長が討たれたのを早く知ることができたのでしょう?

これは光秀が毛利に送った使者を秀吉が捕まえたからわかったのですね。

そこで秀吉はかん口令を引き、毛利と和睦。

これは本能寺の変を知ってから数時間後の出来事でした。

 

後で毛利も本能寺の変のことを知り秀吉軍を追撃しようとしますが

最終的にはしなかったそうです。

 

中国大返しは途中で海路を使い、武具を運んだという話もありますね。

兵たちに無理をさせ移動しますが、全軍が間に合ったわけではなく

2万5千ほどいた兵のうち一万人ほどが山崎の戦いに参戦したそうです。

最初から畿内にいた織田信孝などの軍を吸収していき、戦に挑みました。

 

中国大返しをした軍は疲労困憊であまり戦えなかったともいわれています。

秀吉が一番初めに到着したということが重要だったのでしょう。

 

ちょっと一言

きついけどとんでもない速さというわけではなかったんだね

運もよかったのかな

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