【ダークサイドミステリー】199人の犠牲者を出した八甲田山遭難事件とは?原因は?

TV番組

5月3日の「ダークサイドミステリーE+」では

八甲田山遭難事件 運命の100時間・空前の悲劇」が

放送されます。

 

八甲田山の遭難事件

この明治時代に起きた事件は映画などにもなり

歴史に残る遭難となっています。

 

今回の番組ではこの死者199人を出した世界最大級の

遭難事件の生死を決した100時間の謎に迫るそうです。

 

どのような事件だったのでしょう?

すこし調べてみました。

 

映画で見たなあ

天は我々を見放した!が有名だね

八甲田山

八甲田山(はっこうださん)は青森県中央部にある火山群で

最高峰は1585メートルの八甲田大岳です。

 

明治時代、日本陸軍は厳寒地での戦闘となるロシア戦に

備えて冬季訓練を行っていました。

青森歩兵第5連隊はロシア軍の侵攻により海岸沿いの列車が

不通になった場合に備え

物の運搬を人力のそりでもできるかということを調査するためと

厳寒地に慣れるためということで

雪中行軍の訓練を行うこととなりました。

八甲田山遭難

1902年1月23日、青森歩兵第5連隊210名は青森連隊駐屯地を出発し

八甲田山の田代新湯ぬ向かう雪中行軍を始めました

 

初めは良かった天候も悪化していていき

猛吹雪となり、昼ご飯の握り飯が凍り付き

食べることができないほどになります。

 

このとき元の場所に戻るという意見もあったようですが

前が見えない雪の中を前進することとなりました。

しかし、夜には露営地として設定していた田代の温泉宿に

辿り着くことが不可能となり、その場で露営を始めることに。

 

気温は氷点下20度を下回っていて雪も2メートル以上積もっていたため

雪濠もなかなか作れず、まともな食事もできず

凍死を防ぐために睡眠もできない状態でした。

 

午前5時に露営地を出発する予定でしたが

余りにも寒く凍傷者が出るので

午前2時に帰営のため出発しますが

道は分からなくなっていました。

 

激しい風雪は兵隊の体力を奪い、凍傷も悪化させていき

25日の朝が来たころには3分の一の人が亡くなり

26日には3、40人しか生き残りが

いなくなっていたそうです。

 

27日になって雪の中で仮死状態のまま立っていた

後藤房之助伍長が捜索隊に発見されます。

他にも倒れている2人が発見されますが

激しい吹雪に邪魔され本格的な捜索は翌日からとなり

210人のうち、生存したまま救助されたのは17人のみで

そのうち6人は入院後に死亡。

 

生き残った11人も凍傷により手足を切断した人も

いました。

原因は?

なぜこのような大勢の犠牲者を出す遭難と

なったのでしょう?

 

それはいろいろな理由が言われているそうです。

 

まず、例年にない記録的な寒波だったこと。

現地の情報や認識が不足していたこと。

地元の人が引き留めたり案内を申し出ても断り

厳寒地へ行く装備とは思えないほどの軽装で

甘く見ていたようですね。

 

ほかにも行軍隊長の神成大尉でしたが

山口少佐もいて指揮官の神成大尉より

上官の山口少佐が独断で指揮をしていたとの証言もあり

指揮系統が混乱していたともいわれています。

 

たくさんの原因はあると思われますが

一番は準備不足だったように思いますね。

 

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ちょっと一言

ほとんどの人が亡くなったんだ

それだけ厳しい環境だったんだろうね

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