【所JAPAN】原宿という住所は存在しない?若者の街になったのはいつ?

TV番組

8月3日放送の「所JAPAN」では「めるるも驚く原宿の謎を調査!コロナ禍問題を解決!竹下通り(秘)実験」

が放送されます。

 

原宿と言って思い浮かぶのは若者の街。

では、いつから若者の街と呼ばれるようになったのでしょう?

おそらく戦前とかは違うでしょうし。

 

実は「原宿」という住所は存在しないのだとか。

昔はあったのでしょうか?

その原宿の謎を生見愛瑠(めるる)さんが調査するそうです。

どういうことなのでしょう?

少し調べてみました。

 

80年代には若者の街だったんでしょ

タレントショップとかすごかったみたい

原宿の住所がない?

 

実は原宿という住所は現在は存在しないそうです。

現在はということは昔はあったということですね。

 

もともと江戸時代から原宿という地名があり

1871年、全国の藩を廃止して府県を置いた廃藩置県の時に「原宿村」が

おかれることになりました。

1906年には原宿駅が開業します。

 

この原宿という地名が無くなったのは1964年の東京オリンピックの時期です。

1962年に「住居表示に関する法律」が施行され、住所の再編が進んでいきました。

最終的に町名が変わったのはオリンピック翌年の1965年。

このときに竹下通りの竹下町などとともに原宿も神宮前に再編されたのですね。

何時から若者の街へ?

原宿はいつから若者の街と呼ばれるようになったのでしょう?

 

終戦後の原宿は閑静な住宅街だったそうです。

代々木錬兵場跡地に米空軍の兵舎「ワシントンハイツ」が建設され

地元の住民のための商店街や米軍の家族のための店がいくつかあるくらいでした。

 

1960年代になると「原宿族」と呼ばれた外国文化の洗礼を受けた若者が現れ

1970年代に入ると原宿には若者が集まってくるようになります。

当時はバイクに乗ったやんちゃな若者の集団が目立ち、抗争も絶えなかったため

警察は歩行者天国を作り、車の乗り入れを禁止しました。

 

ハイスピードプラン

若者の街へ

1978年には若者向けのファッションビルラフォーレ原宿がオープン。

歩行者天国(ホコ天)には人が集まり、独特なファッションでダンスを踊る「竹の子族

や「ローラー族」が集まり、流行の発信地となっていきました。

 

80年代後半になると竹下通りにタレントショップが増え

「ホコ天バンド」と呼ばれる路上ライブをするバンドも増え

観光地にもなったそうです。

 

1990年代に入ると表参道に海外有名ファッションブランドの旗艦店が続々とオープンし

そのかたわら「裏原宿(ウラハラ)」と呼ばれる一角も形成し

ファッション界で一大ムーブメントとなりました。

 

原宿の「ホコ天」は1998年に惜しまれつつも終了しましたが

今も原宿はカワイイ文化の発信地など若者が集う街となっています。

 

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ちょっと一言

70年代くらいから若者の街になったの?

80年代くらいから流行の発信地になったみたいだね

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