5月7日の「奇跡体験!アンビリバボー」では「下町の崖っぷち工場に起きた奇跡」
が放送されます。
東京都墨田区には最盛期は10000社ほどの町工場がありましたが
現在は5分の1の2000社ほどになっているそうです。
今回登場する会社もその墨田区にある町工場「浜野製作所」
浜野慶一さんはいつも油にまみれて仕事をしている父を尊敬できませんでしたが
就職活動に入った時期に父が誇りをもって仕事をしていること
父の仕事が社会を支えていることを知り、会社を継ぐことを決意します。
ほかの会社で武者修行に励んでいた際、父が亡くなってしまい
2代目社長となりました。
2年後には母が他界、さらに隣の火事で製作所が全焼してしまうなどピンチが続いていきます。
浜野製作所はどうやってピンチを切り抜けてきたのでしょう?
すこし調べてみました。

下町ロケットとかあったよね

町工場も大変なんだろうなあ
浜野慶一
浜野製作所の浜野慶一社長に、ものづくりに懸ける熱い想いをお伺いしました!研究者として学ぶところがたくさんありました。浜野製作所さんは深海探査艇「江戸っ子1号」を作られた会社です!https://t.co/dPgLqDLC36#シンギュラリティ生物学 pic.twitter.com/fCz7xx3LVm
— Singularity Biology (@SingularityBio1) February 13, 2020
浜野慶一さんは1962年生まれ。
お父さんが昭和43年に工場をはじめ、昭和53年に新しい工場を作り浜野製作所となります。
慶一さんが幼いころは工場の上に自宅があったため、両親の働く姿を間近に見ることができ
資金繰りに悩んでいる様子や経営方針を巡りけんかをしているところを見て両親は
仕方なくこの仕事をやっているんだと思い家業を継ごうという気持ちは全くなかったそうです。
大学4年生の頃の就職活動では商社の内々定をもらっていましたが
珍しく父親から飲みに誘われます。
そこで父親はこの仕事がどれだけ誇り高いものなのかを語り、慶一さんは両親がしかたなく
この仕事をしていると思っていたことが恥ずかしくなり
この素晴らしい仕事を継ごうと考えるようになりました。

2代目社長
1985年の大学卒業後、修行のため板橋区の精密板金加工メーカーに就職します。
父親からは「10年は修行してこい」と言われていましたが
1993年に父親が亡くなり、2代目社長となりました。
母親に経営のことなどを教わっていましたが、その母親に2年後に亡くなってしまいます。
その後生き残りをかけ新工場を作ることになるのですが、2000年6月
隣の家が火事となり、両親の残した本社兼工場も全焼してしまうことになったのです。
現在は?
開発で金属加工が必要になったので、お盆は浜野製作所で板金加工。
工場が休み中にも関わらずいつも私の開発に協力してくださってる浜野製作所の職人さん達には本当に感謝だ。
うちでものづくり学んでるインターン達も連れて行って、一緒に深夜まで作業してた pic.twitter.com/QaO4OgaUm6— 吉藤オリィ (@origamicat) August 17, 2019
家事により仕事がすべてストップしてしまい危機に陥りますが、地元の人の協力などもあり
仮工場の操業ができるようになり2002年には新しい工場が完成しました。
新しい工場ができた機会に、大量生産から希少な製品に特化し
設計・開発という「情報の上流部分」を仕事にすることに注力することになります。
そこで板金加工のエキスパートとして信頼を積み重ね従業員の数も次第に増えていきました。
2003年には墨田区から優良工場として「フレッシュゆめ工場」の認定を受け
その後も電気時自動車の「HOKUSAI」や深海探査艇「江戸っ子1号」の開発プロジェクトに参加。
2014年には工場内にインキュベーション/コワーキングスペース「ガレージスミダ」を併設し
企業のスタートアップの支援も行っています。

町工場は技術の宝庫だもんね

大事にしないと
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