【激レアさん】18歳で交通事故で記憶喪失になるも社会復帰した人とは?

TV番組

交通事故、恐ろしいですね。

近頃だと高齢ドライバーの事故が問題となっていますし。

人が亡くなることもあるし、大けがや重い後遺症を残してしまうことさえあります。

 

8月3日放送の「激レアさんを連れてきた。」では18歳で交通事故にあい記憶喪失になり

人間の生活習慣全部を忘れてしまいましたが、社会復帰できた人を紹介するようです。

その人は坪倉優介さん。

「ぼくらはみんな生きている 18歳ですべての記憶を失くした青年の手記」という本を出版したこともあり

オダギリジョーさん主演のドラマになったりもしました。

ではどんな感じだったのでしょうか?そして、現在は?

少し調べてみました。

自分が記憶喪失になると思うと怖いよね

何もわからなくなるのかな

坪倉優介

坪倉優介さんは1970年に大阪府門真市で生まれました。

大学進学の意思を固めたとき、ガイド本で芸術大学の存在を知りぜひ受験してみたいと思ったのが

大阪芸術大学を受験するきっかけでした。

それまでは美術学校にも通ったことがなく、デッサンという言葉さえ知らなかったそうです。

 

1989年、大阪芸術大学工芸学科染織コースに入学します。

普通に学生生活を送り、新入生を迎える五月祭というイベントも楽しんでいました。

しかし、1989年6月5日、交通事故にあってしまうのです。

記憶喪失

1989年6月5日、坪倉さんは課題を徹夜で仕上げ、スクーターで通学します。

講義が終わり帰宅、その帰宅途中に乗っていたスクーターが、トラックに激突してしまったのです。

そのまま意識不明の重体となり、大阪府立大学病院救急センターの集中治療室に入り10日後に

奇跡的に目覚めますが、18年間のすべての記憶を失ってしまっていたのでした。

 

物、言葉の意味なども忘れて赤ちゃんのような状態になってしまったのです。

家族のこともわからない、風呂や食事など生活の一部のこともわかりません。

目の前にご飯があっても、これは何?どうすればいいの状態です。

食べるや眠る、トイレなどのこともわからなくなっていたのですね。

 

それから少しずつ、本人の努力、家族、周りの協力もあり状態が良くなっていき

大学に復学することもできました。

ただ美術、芸術の意味も分からなくなっていたのでとても大変だったことは想像できます。

スマ留

 

現在は?

大学卒業後、京都の染工房「夢祐斎」に入社し、染師の奥田祐斎さんに教えを請います

2001年には草木染作家としてデビュー。

そして2006年にはゆうすけ工房を設立し、現在も染色家として着物を中心に染物の作品を制作し活躍中です。

 

坪倉優介さんは記憶を失った代わりに、常識にとらわれない色彩感覚という個性を

得ることとなり、新たな自分を作り上げてきたのでしょう。

 

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ちょっと一言

すごい大変だったんだろうね

でも、それを乗り越えられたから今があるんだよ

 

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