5月21日の「奇跡体験!アンビリバボー」では「今夜も新作!世界を変えたスゴイ日本人SP」が
放送されます。
その中で「G-SHOCK」の開発者である伊部菊雄さんのこともでてくるようですね。
G-SHOCKといえば頑丈な時計としても有名です。
その耐衝撃性の高さから、厳しい環境で活動する宇宙飛行士にも愛用されている
という話を聞いたことがあります。
誰もが欲しがったこともあるでしょう。
そのG-SHOCK、始めはたった1行の企画書からだったのだとか。
シンプルな企画書が採用されたのですね。
しかも製品化された後も売れ行きはイマイチだったそうです。
どういうきっかけでヒットすることになったのでしょう?
少し調べてみました。

G-SHOCK、ゴツゴツしているところが良かったなあ

すごい流行った時期があったね
伊部菊雄
【Podcast更新】日本のモノ作りの展望、そしてG-SHOCKの今後は?カシオG-SHOCKの生みの親、カシオ計算機 アドバイザリーエンジニアの伊部菊雄さんに伺いました。#take1134 #Gショック #radiko #joqr https://t.co/GDTLsBih97 pic.twitter.com/QRHUrBH4Vx
— TheNewsMastersTOKYO (@joqrnewsmasters) November 17, 2017
伊部さんは1976年にカシオに入社します。
当時、腕時計は精密機械で落としたら壊れてしまうので落とさないように
大事に使わなければいけないというのが常識でした。
ある日会社で人とぶつかり腕時計が落ちて壊れてしまいます。
この時、目の前で腕時計が落ちたら壊れるという常識を現実で見て感動したそうです。
当時伊部さんは設計を担当していて毎月1回「新技術・新商品提案」をしなければいけませんでした。
その時「落としても壊れない丈夫な時計」というたった1行の企画を出し、それが通ったのですね。
G-SHOCK
1983年に発売した耐衝撃腕時計“G-SHOCK”の初代モデル「DW-5000C」が、腕時計に対する価値観を大きく変えた製品として、国立科学博物館が主催する2019年度未来技術遺産(重要科学技術史資料)に登録されました。https://t.co/NEwd6KnxUU pic.twitter.com/7FaG3sqxDY
— CASIO カシオ計算機株式会社 (@CASIOJapan) September 3, 2019
1981年、伊部さんが28歳の時にG-SHOCKの開発はスタートします。
3階のトイレの窓からサンプルを200~300個くらい落とすなど実験を繰り返し
5段階で衝撃を吸収する仕組みにして、部品の強度を上げる方向で作ることにしますが
「電子部品が一つだけ壊れる」という現象に悩まされることになりました。
なかなか問題が解決せずに会社をどうやって辞めるかまで考えたことがあったそうです。
そこで「1週間だけ寝てる時も起きてる時も全部考えてみよう」ということになり
最後の日曜日、公園のベンチに座っていると女の子がまりつきをしていました。
そのときボールの中に時計が浮いているイメージが突然浮かび、パーツが浮いているような状態を
作り出すということが問題の解決策となったのです。
1983年4月、G-SHOCKが発売されることになりました。
ヒットのきっかけ
ただ、G-SHOCKも発売後しばらくはあまり売れなかったそうです。
G-SHOCKはアメリカにわたり、アイスホッケーのパック代わりに叩くというCMが放送されました。
それをアメリカの人気番組で実際に行い、さらにトラックで引くという実験まで行われ
G-SHOCKの頑丈さをアメリカで大きくアピールし、評価されます。
その後ファッション性でも評価され、スケーターがファッションアイテムとして使用するようにもなりました。
90年代に入ってからは「アメリカで人気の時計」として
逆輸入のような感じで日本でも人気が出ることになります。
1994年の映画「スピード」で主演のキアヌ・リーブスがつけていたことも大きいようですね。
現在、G-SHOCKは世界的に高い評価を受けています。


軍人さんも愛用しているんだよね

丈夫だしね
コメント