4月13日の「世界まる見え!テレビ特捜部」では「3兆円を手に入れた麻薬王の数奇な半生とは」
が放送されるみたいです。
この麻薬王というのはコロンビア最大の麻薬密売組織「メデジン・カルテル」を創設した
パブロ・エスコバルのことでしょう。
エスコバルの資産は3兆円あったともいわれ、1989年にはフォーチューン誌によって
「世界で7番目に裕福な人」に選ばれています。
エスコバルの命令によって3000人以上の人の命が奪われたといわれていますが
コロンビアの貧困地域では英雄視もされているそうです。
それは貧困地域のダンボールにすんでいた人たちに4000戸もの家を建てたからなんですね。
大きな犯罪を犯していたけど、慈善事業も行っていたのだとか。
ではパブロ・エスコバルはどのような人だったのでしょう?
少し調べてみました。

たしかドラマになってたよね

ネットフリックスだったっけ?
パブロ・エスコバル
パブロ・エスコバル(1949~1993)最盛期、世界のコカイン市場の8割を支配し年間最大250億ドルの収入を得ていたと見積もられ、エスコバル自身も世界で7番目の大富豪としてフォーブス誌に取り上げられたこともある。 pic.twitter.com/q0uqgTRoAS
— ギャング_マフィアbot (@gang_mafia_bot) March 18, 2020
パブロ・エスコバルがコロンビアで生まれたのは1949年。
幼いころは頭がよく学校で一番の成績でしたが、当時のメデジンが
失業率が高く職もなかったこともあり、学校を中退後は強盗、ドラッグの密輸
殺人など悪事に手を染めてしまいます。
当時、アメリカはヒッピーブームでありドラッグが流行していました。
そのアメリカにコカインを密輸すると大きなもうけが出ると踏んだパブロ・エスコバルは
1976年に麻薬組織「メデジン・カルテル」を結成。
コカイン工場を作り、飛行機でアメリカへコカインを密輸し、大きな利益を上げました。
メデジン・カルテル
まじでコロンビアというと「危険?麻薬カルテル?」のイメージがある人に知ってほしいんやけど、
第二の都市「メデジン」は、もっとも革新的な都市1位にも選ばれたことがある。
街全体が赤茶色で統一されてて、街の上を通るケーブルカーからの景色はかなりきれい。 pic.twitter.com/T2cbjKrREF— けいすけ (@kei_suke0318) March 4, 2020
1980年代に入るとメデジン・カルテルは販売ルートを拡大。
1980年代末には世界で流通しているコカインの8割にかかわっていたといわれていて
その時には3兆円もの資産があったそうです。
強大な力を手に入れたパブロ・エスコバルは「銀か鉛か(金か銃弾か)」という戦略をとるようになります。
政治家や警官などを相手の家族の写真を見せながら脅して買収
買収に応じない人たちは暗殺されていきました。
1984年には麻薬の犯罪者をアメリカへ引き渡す法律を制定しようとしたララ法務大臣を暗殺。
1989年には大統領候補者を3人暗殺し、ほかにも航空機やビルの爆破などのテロ行為で
敵対者たちを暗殺していったのです。
逮捕、射殺
1990年代に入ると対立組織カリ・カルテルとの抗争激化などから
メデシン・カルテルの勢いは衰えていきました。
さらにパブロ・エスコバルをとらえてアメリカへ送還する法律も制定されます。
1991年、コロンビア政府はパブロ・エスコバルを年の服役とアメリカへ送還しないという条件で
収監します。
ただその収監先の刑務所は過去にパブロ・エスコバルが資金を出して建設されたサッカー場や
ディスコもある豪華な施設で自由に出入りできメデシン・カルテルへの支持も出していました。
しかし、1992年にパブロ・エスコバルが刑務所内で2件の殺人事件を起こし、コカインの
指揮を執っていることが明るみに出ると世論がわき、ほかの刑務所へ移管することになりますが
脱出し、メデシン市内へ潜伏したのです。
パブロ・エスコバルには多くの敵がいました。
カリ・カルテル、コロンビア政府、アメリカ特殊部隊、ロス・ペペスというパブロ・エスコバルに
家族を殺害された遺族による組織など。
1993年12月2日、コロンビア警察がパブロ・エスコバルの電話を傍受し
居場所を特定、射殺しました。
指導者を失ったメデジン・カルテルはその後も勢力が衰えていき
壊滅に近い状態となったそうです。


コロンビアは治安がだいぶ良くなっているんだって

昔は世界最悪と言われていたけどね
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