【消えた天才】ドラフトで8球団の誘いを蹴り入団拒否した天才投手は小池秀郎

TV番組

野球の熱戦は盛り上がっていますね。

ペナントレースや日本シリーズの試合が盛り上がるのはもちろんですが

それにも負けない盛り上がりを見せるのがドラフト会議です。

あの有名選手はどこへ行くのだろう、ファンの球団にはどんな選手が来るだろうなど

昔ほどではないにしても大きな注目を浴びるイベントとなっています。

 

そのドラフトで野茂英雄選手と並ぶ、史上最多タイの8球団から指名された選手がいました。

その選手の名前は小池秀郎選手。

野茂選手と並ぶほどの逸材だったということでしょう。

しかし、小池選手はドラフト指名を拒否したのです。

なぜなのでしょうか?

少し調べてみました。

なんでかな?

意中の球団じゃなかったんじゃないの?

小池秀郎

小池秀郎選手は1969年3月18日に愛知県一宮市で生まれます。

長野県の武蔵工大付属信州工高へ野球をやるために野球留学をしましたが

甲子園に出場することはできませんでした。

高校卒業後は亜細亜大学へ進学。

 

亜細亜大学では1990年の春季リーグで当時の東都大学記録となるシーズン111個の三振を奪い

大学選手権でも優勝します。

大学では通算63試合に登板し28勝14敗、「大学ナンバーワンサウスポー」との評価で

ドラフトの目玉となり8球団から指名を受け、ロッテが交渉権を獲得しましたが

それを拒否したのでした。

 

なぜ拒否?

実は小池選手は事前に希望球団を「ヤクルト・西部・巨人」と表明していて

他の球団ならプロを拒否と言っていたのですね、本音ではヤクルトだったそうですが1球団だけだと

変な噂が立つ恐れがあるということで3球団を表明したのでしょう。

同時に当時は暗黒期だった「ロッテ・阪神」の2球団だけには絶対に行きたくない

腹を決めていたそうです。

 

1990年11月24日、ドラフト当日亜細亜大学の大ホールには学生やマスコミが集まり

お祭り騒ぎのように盛り上がっていたといいます。

実はロッテはドラフト直前に「うちは指名しません」と伝えてきていたんですね。

それにもかかわらずドラフト当日に当時監督だった金田正一監督の強い希望で強硬指名に

踏み切り、交渉権を獲得することになったのです。

ロッテに指名された時にはホールに集まっていた学生たちは悲鳴や落胆の声を上げ

小池選手もショックを受けました。

 

その後、粘り強く入団を要請するロッテに対し小池選手は絶縁状までだし

断固入団拒否の姿勢を取ったのだとか。

マットレス訴求

その後は?

小池選手はその後、松下電器野球部でプレー。

2年後の1992年、ドラフトで近鉄バッファローズに一位指名され入団します。

近鉄では1997年にパ・リーグの最多勝投手となる活躍を上げ、2000年に中日ドラゴンズに移籍。

2002年には近鉄に復帰し、2005年には新チームの楽天の一員としてプレーしましたが

この年で戦力外通告。

2006年に社会人球団NOMOベースボールクラブのコーチ兼投手として入団したのち

関西メディカルスポーツ学院でコーチを務め

現在は芸能事務所トゥルーマサに所属し、またトレーナーとして活動をしています。

 

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ちょっと一言

指名しないといわれて指名されたのでシュックを受けたんだろうね

信頼が崩れたのかも

 

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