【激レアさん】職歴ゼロだった主婦からドムドムバーガーの社長になった藤崎忍とは?

TV番組

1月25日放送の「激レアさんを連れてきた。」では

職歴ゼロの主婦だったけど、39歳で初めて社会に出て

運命に翻弄された結果 絶滅危惧種ハンバーガーチェーンの社長になっちゃった人」が

放送されます。

 

主婦からハンバーガーチェーンの社長になった人。

しかも絶滅危惧種のハンバーガーチェーンとは。。

 

この人は藤崎忍さん。

経営不振に陥っていたハンバーガーチェーン「ドムドムバーガー」を復活させたそうです。

 

現在はコロナで外食はどこもきびしいでしょうが

コロナ前もハンバーガーチェーン店の熾烈な競争があったと思います。

藤崎さんはどうやってドムドムバーガーを復活させたのでしょう?

少し調べてみました。

 

ドムドムバーガーはあまり聞かなくなったね

競争が厳しいんだろうなあ

ドムドムバーガー

ドムドムバーガーは日本初のハンバーガーチェーン店として

1970年に東京都町田市に第一号店をオープンしました。

 

当初はダイエーが運営していて「ドムドム」というのは

ダイエー創業者の中内功さんの理念「よい品をどんどん安く」が由来なのだそうです。

 

1989年ごろには全国で400店舗ほど運営していましたが

ダイエーの業績不振もあり、36店舗まで減少

2017年には「レンブラントホールディングス」がハンバーガー事業を譲り受ける形で

新会社「ドムドムフードサービス」を設立し、再出発を図ります。

藤崎忍

藤崎忍さんは1966年生まれ。

 

小学校は青山学院初等部に入学し、中等部、高等部、青山学院女子短期大学と

進んでいきました。

短大を卒業した1986年に国会議員の秘書で同時期に墨田区議に当選した繁武さんと結婚

お父さんも墨田区議だったことも在り、家に出入りしていたそうです。

 

藤崎忍さんは就職活動をすることなく、政治家の妻となり子育てなどに邁進して

いきました。

順風満帆だった藤崎家に予想だにしないことが起こります。

 

繁武さんが都政に進出しますが、落選し心筋梗塞に襲われたのです。

そこで37歳となった忍さんが働きに出ることになりました。

 

春のお彼岸

社長に

初めてでなかなか就職先は見つかりませんでしたが、青山学院時代の友人が

「母のSHIBUYA109のブティックで働かない?」と誘ってくれました。

 

ブティックの店長となりましたが、店を改革し5年で売り上げを倍増させることに

成功します。

夫の繁武さんは回復して再び選挙活動を始めますが、今度は脳梗塞に倒れてしまい

政治家の夢は絶たれることになってしまいました。

 

忍さんは2010年にブティックを離れ、小料理屋のアルバイトを挟み

2011年「そらき」という居酒屋をオープンしました。

居酒屋は大盛況となり、隣にも洋風居酒屋をオープンさせますが

2016年に療養中だった夫の繁武さんが亡くなってしまいます

 

夫が亡くなってから半年後の2017年、思いもよらない話がきました。

店の常連だったレンブラントホールディングスの人から

新商品のアイデアを提供してほしい」とオファーが来たのです。

 

そこで「手作り厚焼きたまごバーガー」を提案、11月に社員となり

12月には厚木店の店長となりました。

翌年にはエリアマネージャーも兼務し、社長に大抜擢されました。

 

社長就任後は伝統メニューの「甘辛バーガー」など受け継ぎつつ

「丸ごと!!カニバーガー」などの斬新なメニューを投入

ヒット商品となり、ドムドムバーガーの勢いも増しています。

 

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ちょっと一言

介護と主婦と仕事を掛け持ちしていたんだって

すごいバイタリティだね

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