日航ジャンボ機墜落事故から34年、坂本九の代表曲には〇〇弁が使われていた!

芸能

本日、8月12日は史上最悪ともいえる航空事故が起きた日です。

それは34年前の1985年。

日本航空123便が墜落し、大勢の犠牲者を出しました

お笑いの明石家さんまさんもこの便に搭乗する予定でしたが、テレビ番組の収録が早く終わり

ひとつ前の便に登場したため、事故にあわなかったという話は有名です。

 

この日本航空123便には国民的歌手の坂本九さんも搭乗していて帰らぬ人となりました。

坂本九さんの代表曲と言えば「上を向いて歩こう

実はこの曲には坂本さんがなじみのある方言が使われていたそうです。

どの部分なのでしょう?

少し調べてみました。

ひどい事故だったんだね

今もニュースとかで特集されて当時の惨状がわかるもんね

日航ジャンボ機墜落事故

1985年8月12日、524人の乗員・乗客を乗せたJAL123便は東京の羽田空港から

大阪の伊丹空港へ向かっていました。

離陸から12分後、後部で爆発音がおき航空機はコントロール不能に陥ってしまったのです。

爆発音から約32分後、コックピットクルーも懸命に努力をしましたが、群馬県多野郡上野村の

御巣鷹の尾根に墜落、犠牲者520人、生存者4人という凄惨な事故となりました。

坂本九

この事故機にはお盆の帰省客や夕方の帰宅客など沢山の人が搭乗していて

国民的歌手となっていた坂本九さんも東京でのラジオ収録の後、大阪で知人の選挙応援に駆け付けるために

この機に乗っていたのです。

 

坂本九さんはいくつかのバンドを経て、1961年にソロとして出した「上を向いて歩こう」が

大ヒット、作詞の永六輔さん、作曲の中村八大さんと合わせて六八九トリオと呼ばれました。

この曲はアメリカのチャート「Billboard Hot 100」でも3週連続で一位を獲得。

アメリカでも有名人となり、渡米しテレビにも出演、空港には一万人ものファンが集まったそうです。

その後もヒット曲を連発、NHK紅白歌合戦にも11回出場。

タレントとしてもテレビ番組の司会や映画などで活躍、福祉関係の慈善活動にも積極的に参加していました。

 

高反発マットレス_モットン

上を向いて歩こう

上を向いて歩こう」は坂本九さんの代表曲と言っても過言はないでしょう。

日本でも大ヒットし、現在も様々なアーティストがカカバーしていますし

アメリカを含む海外でも発売され、アメリカでは「SUKIYAKI」として100万枚以上の売り上げ

全世界では1300万枚ほどの大ヒットを記録したといわれています。

 

この「上を向いて歩こう」ですが、茨城弁のアドリブが入っているみたいです。

坂本九さんは茨城県笠間市で幼少期を過ごしていますしね。

「うえをむうういて、ああるこおおう」という独独の歌いまわしは坂本九さんが慣れ親しんだ

語尾に特徴のある茨城弁だったのです。

これはアドリブだったので「作曲した中村八大さんは喜んでくれたが、作詞の永六輔さんは猛反対だった

とのこと。

作詞した人としては市の内容が伝わらなくということでしょうか?

でも、ここまで大ヒットとなり歌い継がれてきたのもこの歌い方に特徴があるというのも理由の一つに

あげられると思います。

 

西郷輝彦とライバルだったスター歌手梶光男、今は宝石デザイナーに
1960年代に活躍した歌手の梶光夫さん。 1964年発売の「青春の城下町」により、一躍スターとなりました。 なんでも御三家のスター西郷輝彦さんとライバル関係だったそうですよ。 しかし、梶光夫さんは人気絶頂の中197...
ちょっと一言

そういう話があったんだね

これからも歌番組などで歌い継がれていくんだろうな

 

 

 

ランキング参加中♪

クリックしてもらえると嬉しいです(^^)

芸能
アッツをフォローする
アッツの知りたい情報秘密基地

コメント