元拓殖大で箱根駅伝10人抜きのデレセ、卒業後は佐賀のひらまつ病院へ

TV番組

 

12月16日放送の「YOUは何しに日本へ?」では箱根駅伝10人抜きの留学生デレセさんが登場します。

 

現在は大学を卒業し、佐賀県の実業団チームへ。

出身のエチオピア代表としてマラソンで東京オリンピック出場を狙っているらしいです。

エチオピアといえば、マラソンの強豪国。

 

福岡国際マラソンを走ったそうなのですが、結果はどうだったのでしょうか?

少し調べてみました。

 

来年はオリンピックだもんね

代表に選ばれると注目選手が増えるね

デレセ

ワークナー・デレセ・タソ選手は1995年生まれ。

エチオピア出身です。

 

デレセ選手の故郷はエチオピアの首都アディスアベバから約1000キロ離れた郊外。

テレビを見てあこがれて陸上競技を始めましたが、地元に陸上に詳しい人がいなくて

周りから笑われていたそうです。

母親からも「何で走っているの?やめなさい」といわれたのだとか。

 

デレセ選手はあきらめず、個人で練習を重ね首都のメダニアレム高校へ転校します。

そこで日本で陸上競技を経験した先生と出会い、日本留学を夢見ることになりました。

 

2015年、拓殖大学に代理人により2人の選手が紹介され、そのうちの一人デレセ選手が

入学することになりました。

留学生ではありがちなことらしいのですが、デレセ選手は高校生まで

トラックレースをほとんど走ったことがなくん日本のレースになかなか適応できなくて

日本人選手にも勝てなかったそうです。

 

しかし、陸上競技部の岡田監督はデレセ選手の可能性を信じました。

デレセ選手も一年目はやめたいと思ったこともあったそうですが、昼休みに個別授業で日本語を学ぶと

来日半年後には一人で買い物や銀行へ行けるようになるなど日本での生活にもなじんできたのです。

キャプテン

デレセ選手は納豆が好きというほど日本の文化になじみ、競技力も付けていきました。

箱根駅伝では3年連続で花の2区を担当。

一年生の時は区間11位でしたが、2年生の時には10人抜き3年生の時も8人抜き

結果を出していきました。

 

4年生になるとキャプテンに任命されます。

デレセ選手は初めは固辞しましたが、チームメイトの後押しもあり留学生主将が誕生することになりました。

主将としてデレセ選手が練習態度と走りでチームメイトを引っ張り、言葉などの面は

副主将二人がサポートしたのですね。

 

この年は出雲駅伝では史上最高の4位に、箱根駅伝は9位でゴールしました。

 

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現在は?

デレセ選手は拓殖大学を卒業後、佐賀県のひらまつ病院陸上部に加入しました。

 

九州実業団毎日駅伝競走大会で走ってもいますが、エチオピア代表での東京オリンピック出場を目指し

マラソンの練習もしているそうです。

初マラソンだった北海道マラソンは15位と苦戦しましたが、福岡国際マラソンでは

自己ベストを更新し4位となっています。

 

エチオピア代表の座をつかみ、東京オリンピックへ出場できるのでしょうか?

デレセ選手にこれからも注目です。

 

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ちょっと一言

どうなるのかな?

日本で頑張っているから応援したいね

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