7月15日には「ワールド極限ミステリーSP」が放送されます。
その中で「スペースシャトル・チャレンジャー号爆発事故の衝撃の真実」というものが
あるようです。
チャレンジャー号爆発事故とは1986年に起きた事故。
乗組員だった7人全員が犠牲となってしまいました。
実はチャレンジャー号の打ち上げ前には中止を訴えた人がいたそうです。
事故を予見していたのでしょうか?
その人の名前はロジャー・ボイジョリー。
どのような人なのでしょう?なぜ打ち上げを中止にはできなかったのでh草加?
少し調べてみました。

衝撃的な事故だったね

昔はたまにテレビで流れていたね
チャレンジャー号爆発事故
スペースシャトル、チャレンジャー号の爆発事故で命を落とした日系3世の米国人宇宙飛行士エリソン・オニヅカ氏(1946~86)の功績を刻んだ銅板レリーフが、出身地のハワイの福岡県人会から、ゆかりのある福岡県うきは市に届きました。あすの西日本新聞筑後版で記事を紹介します。#西日本新聞 #うきは市 pic.twitter.com/XNZA0IcPt1
— 西日本新聞社 久留米総局 (@kurumesoukyoku) June 4, 2020
事故は1986年1月28日に起こりました。
スペースシャトル・チャレンジャー号はエンタープライズ号に次いで2番目に製造された機体で
宇宙航行に耐えうる初の機体でした。
今回の打ち上げはチャレンジャー号にとって10回目の打ち上げ。
TV中継される中、フロリダ州のケネディ宇宙センター からチャレンジャー号は打ち上げられました。
しかし、打ち上げられてすぐに外部燃料タンクが破損し推進剤が漏れ出し発火、シャトルは安定を失います。
燃料タンクが外れシャトルは上昇を続けましたが、固体燃料補助ロケットとタンクを失って
シャトルは過大な空力負荷に耐えられず空中分解を起こしてしまい、乗務員7人は犠牲となってしまいました。
打ち上げられてからわずか73秒後の出来事でした。
ロジャー・ボイジョリー
ロジャー・ボイジョリーはサイオコール社の主任技師です。
サイオコール社はシャトルのブースター部分の製造を行っていました。
当時、フロリダは記録的な寒波に見舞われていて打ち上げ時の気温は摂氏2.2度という寒さ。
今までの打ち上げよりも10度ほど低い気温だったそうです。
そのとき、ロジャー・ボイジョリーら技術者はシャトルの密閉用ゴム製Oリングが耐えられる気温ではないと
忠告します。
その忠告は受け入れられずにチャレンジャー号打ち上げは決行され
Oリングが耐え切れず燃料漏れからの出火となってしまいました。
なぜ中止にはできなかった?
スペースシャトルの打ち上げといえば一大行事。
簡単に中止にはできないでしょうが、乗務員への危険があったのになぜ中止にはできなかったのでしょう?
NASAは予定通りの打ち上げを希望していました。
そこでサイオコール社の上層部は打ち上げ反対によりNASAとの次の契約の
マイナスになることを恐れたのです。
それにロジャー・ボイジョリーらのデータが中止を決定できるほど確かなものでなかったということも
理由の一つのようです。


中止にはできなかったのかな

事故なんて起こるはずがないと思っていたのかも
コメント