3月29日には「トリガーニュース~些細なキッカケで大ゴトに!~」が
放送されます。
この番組はどんな事件もきっかけ(トリガー)は
些細なことだったと紹介する番組です。
ここで紹介されるのはドイツのベルリンの壁。
東西冷戦の象徴のような建造物ですよね。
ドイツをそして世界を2つに分けていたベルリンの壁は
ある人物の勘違いから始まったそうです。
どういうことなのでしょう?
すこし調べてみました。

ニュースとかで見たことある

つるはしで壊していたね
東西冷戦
「自由への跳躍」
1961年 ペーター・ライビング(1941-2008)
冷戦と東側諸国の圧政を象徴する写真#有名な写真#写真好きな人と繋がりたい https://t.co/wTDULC2VE1 pic.twitter.com/Uoi04pASfN— カメラ鑑定団 (@camerakanteidan) March 23, 2022
第2次世界大戦後、連合国側だったアメリカと
ソ連は対立を深めていきました。
ソ連はドイツから解放された東欧諸国に
共産主義政権を樹立し影響力を強めていき
それに対しアメリカは戦争で疲弊した
ヨーロッパの国に経済援助することでソ連の影響力が
広がるのを防いでいきます。
そこから西側、アメリカを中心とする資本主義陣営と東側
ソ連を中心とする共産主義陣営の対立が深まっていきました。
西側諸国は「北大西洋条約機構(NATO)」を結成
東側は「ワルシャワ条約機構」を結成。
対立は激化し軍拡競争や宇宙競争などもおきましたが
直接武力衝突することはなかったため
冷戦(冷たい戦争)と呼ばれていました。
ベルリンの壁
ベルリンの壁の破片持ってる pic.twitter.com/lCAbExERt0
— もののべもが (@amane_saber) March 24, 2022
第2次世界大戦後、敗戦国のドイツは西側3か国と
東側のソ連の共同管理下に置かれ
首都のベルリンの分割されます。
1949年西側が統治していたほうにドイツ連邦共和国
ソ連が統治していたほうにドイツ民主共和国が
生まれました。
1961年8月13日、東西ベルリンの境界線が封鎖され
深夜のうちに壁が誕生しました。
壁以前は東西ベルリン間の行き来はできていて
東ベルリンに住み西ベルリンで働いていた人もいたそうです。
このベルリンの壁の誕生により、人々は職を失い
家族や親類と離れ離れになる人も大勢出ました。
西ドイツと東ドイツには経済格差があり
ベルリンを通じ、東から西へ行く人がいたため
それを防ぐために東ドイツがベルリンの壁を作ったのですね。
どうにか壁を乗り越えて西ドイツに行こうとする人も絶えず
東ドイツの国境警備隊に100人以上が射殺されたと言われています。
崩壊は勘違いから?
シャボウスキー氏「私の知る限り、直ちに」…ベルリンの壁の突然の崩壊、そして共産圏全体の崩壊への序章となった発言について、共産主義国家の上意下達の中で起きたぶざまな誤解の末の失言だったのか、それとも限界が見えていた一党独裁体制による計算づくの行為だったのか。https://t.co/DKq0jrsSzU pic.twitter.com/syQ3EF5Jjj
— AFPBB News (@afpbbcom) November 7, 2019
ベルリンの壁の崩壊は1989年11月9日でしたが
それは突然でした。
当時、東ドイツから西ドイツに簡単に旅行に行ける
法案が制定されます。
記者会見の場で党のスポークスマンだったシャボウスキーが
「すべての東ドイツ国民に、東ドイツからの出国を認める」と発言。
内容をあまり理解していなかったのか
報道陣に「それはいつから?」と質問された時
「ただちに」と答えたため
大量の東ドイツの人が西ドイツに向かっていったのですね。
実はこれは東ドイツ政府の意図ではなく
法律制定後に壁の警備の強化のため翌日に発表する予定で
しかも出国は自由ではなく
デモなどをしている一部の不満分子だけを西側に追放する予定
だったのです。
シャボウスキーの勘違いからベルリンの壁は崩壊。
「歴史上最も素晴らしい勘違い」とも言われています。


西側の人も東側の人が来ることを祝ったんだって

元は一つの国だったしね
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