群馬県と長野県の境にそびえる浅間山。
観光地や登山でも有名です。
令和元年8月19日から噴火警報レベルが2となっていて、火口周辺規制となっているようですが。
この浅間山は日本を代表する活火山で江戸時代に大きな噴火をしたことがあるのですね。
10月5日放送の「ブラタモリ」では浅間山を歩き、江戸時代の天明の噴火の最後の一日に迫るそうです。
なんでも森に世にも奇妙な1000以上の穴があるのだとか、火山の影響でしょうか?
天明の噴火とはどのようなものだったのか、少し調べてみました。

歴史の授業で出てきたね

そんなのあったっけ?
浅間山
#浅間山 の山頂に朝日・夕日が重なり、ダイヤモンドのように輝く『#ダイヤモンド浅間』
この絶景を見るために、「ガイド同行でないといけない」牧場の道を歩き、雄大な景色と #ダイヤモンド浅間 を堪能するツアーがあります。今年は、11/1に実施予定!
☆昨年実施の情報https://t.co/v1lgDJWGw6 pic.twitter.com/IMD8viGyAD
— ググっとぐんま(公式)「ぐぐったぁ」 (@Gunma_kankou) August 26, 2019
浅間山は標高2568mの活火山で長野県の軽井沢町及び御代田町と群馬県の嬬恋村の境目の場所にあります。
日本百名山や花の百名山に選ばれていて、紅葉や冬の雪山など登山者にも人気の山です。
その豊かな自然により、貴重な植物や野生生物が多数生息しています。
その雄大な景観から軽井沢のシンボルと呼ばれることもあるそうです。

天明の噴火
天明の噴火が起きたのは天明3年(1783年)のこと。
江戸幕府の第10代将軍徳川家治の時代です。
4月から7月にかけて断続的に活動を続けていた浅間山は7月8日に大噴火を起こします。
その噴火の規模はすさまじく山麓の家の戸が外れたり鍵があいたりもしたほどで雷などすごい音がしたそうです。
噴火により発生した火砕流は鎌原村を襲い、152戸が飲み込まれて483名が死亡
群馬県では土石流の被害もあり1400人もの犠牲者が出たといわれています。
大量の火山灰は広範囲にばらまかれ、江戸にまで届いたのだとか。
火山灰が積もりその重さで数十軒の家がつぶれたとの話もあります。
さらに畑に積もった灰は農作物の成長にも大きな影響を与え、当時始まっていた天明の大飢饉に拍車をかけ
悪化させてしまったのです。
世にも奇妙な穴とは?
浅間山溶岩樹型も見て来た。 pic.twitter.com/GYp7vt5jmg
— h_n_rabbit (@h_n_rabbit) June 28, 2015
この奇妙な穴とは浅間山溶岩樹型と呼ばれています。
穴の大きさは穴の大きさは直径50~200cm、深さは3~7mほどで
これが数百あるのですね。
天明の噴火の時に森に流れ込んだ火砕流が冷えて固まり、やがて木々は腐り円筒状の穴が残った
ものが溶岩樹型なのです。
この火砕流によって形成された浅間山溶岩樹型は非常に珍しく、天然記念物に指定されています。

番組では噴火のラスト一日に迫るんだって

何があったんだろうね
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