5月11日の「所JAPAN」は明智光秀の特集があるそうです。
現在、大河ドラマでも「麒麟がくる」が放送されていますし
明智光秀がフィーチャーされていますね。
明智光秀の出身地は岐阜県だといわれています。
ただ、古文書の発見により滋賀県という説も出てきたみたいです。
ほかにも光秀が敗走後の落ち武者狩りから逃げ切り、生き延びたという説もあるそうです。
その説では光秀は天海和尚となり、徳川家康に仕えたことになっています。
どういうことなのでしょう?
少し調べてみました。

本当は生き延びていた説とかたまに聞くね

源義経とか
明智光秀
【5/22号・5/13発売】大河ドラマ〈#麒麟がくる〉大特集 第3弾。表紙には、明智光秀役 #長谷川博己 さんが登場!
物語の舞台は、美濃から越前へーー。
長谷川さんが美濃編を振り返るとともに、光秀を演じる思い、そして「越前編」の見どころを語ります!#NHKステラ pic.twitter.com/6lMWgDdFkm
— NHKウイークリーステラ (@nhk_stera) May 8, 2020
明智光秀は戦国時代の武将です。
朝倉義景に仕えた後、織田信長に仕えるようになり将軍であった足利義昭との
間を取り持ったりと功績を残しましたが
のちに謀反を起こし、1582年に京都の本能寺で信長を襲い自害させます(本能寺の変)
しかし、13日後に豊臣秀吉に山崎の戦いで敗れ命を落とし、3日天下と言われました。
明智光秀の出身地
\\情報解禁//来週 5月11日(月) 22:00~ カンテレ・フジテレビ系 「所JAPAN」にて、明智光秀近江出身説が登場!磯田先生がどのように推理されるのか楽しみです。ドローンも飛んだよぉ──取材を受ける佐目十兵衛会 #明智光秀 #近江戦国山の道 #黒歴史 #多賀町佐目 pic.twitter.com/noAYsUHRrA
— 明智光秀近江出身説 佐目十兵衛会 (@3ginweb) May 7, 2020
明智光秀は美濃国(岐阜県)生まれと言われています。
しかし、近江国(滋賀県)出身という説も出てきているのです。
江戸時代前期にできた「淡海(おうみ)温故録」に「明智十左衛門が美濃から移り住み
2~3代後に十兵衛光秀が生まれた」ということが今の滋賀県多賀町の佐目という地域の説明に
書かれていて、佐目の集落にも光秀の伝承が残っていることから
光秀近江国出身説が出てきたのですね。
天海和尚
天海和尚は天台宗の僧で徳川家康の側近として活躍しました。
明智光秀が山崎の戦いを生き延び天海和尚となったという説もあるそうです。
栃木県日光市には、明智平という場所がありこの場所は天海和尚が命名したといわれていて
そのことも光秀=天海説の元となっています。
「光秀が生き延び、天海となり豊臣を滅ぼし恨みを晴らした」という説は
大正時代には広まっていたようですね。
ただ、本当のことはわかりません。
明智光秀という人物はまだまだ謎が多いようです。


天海和尚は107歳まで生きたんだって

当時としてはすごい長生きだったんじゃないの?
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