【何だコレ!?ミステリー】麒麟がくるでも匂わせた明智光秀の生存説とは?天海とは何者?

TV番組

9月29日の

世界の何だコレ!?ミステリーSP」では

明智光秀生存説」が紹介されるようです。

 

明智光秀といえば昨年の大河ドラマ

麒麟がくる」でも大きな話題となり

ましたね。

 

明智光秀は織田信長を討った「本能寺の変

から11日後に討ち取られたということに

なっていますが、その死をめぐり不可解な

痕跡が残されているのだとか。

 

そして明智光秀はある人物となって

生存していたという説があるのです。

これは「麒麟が来る」の最終回でも匂わせがあり

話題となりました。

 

そのある人物とは「天海

 

どのような人なのでしょう?

なぜ天海が明智光秀ではないか?と言われているの

でしょうか?

すこし調べてみました。

 

生き延びたの?

討たれたのは影武者?

明智光秀

明智光秀(あけちみつひで)の生まれた年は

はっきりとはしていませんが

1516年説と1528年説があります。

 

低い身分から織田信長の信頼を勝ち取り

1国1城の主となりますが

謀反を起こし、本能寺の変で主君である織田信長を

討ち取りました。

 

光秀が信長を裏切った理由にはたくさんの

説があり、怨恨説黒幕説、最近では四国説

唱えられていますね。

光秀が信長と四国の長宗我部元親の間を取り持って

いましたが、長宗我部元親が四国を平定しそうになると

信長が態度を変え長宗我部元親討伐を決めたため

光秀の面目が丸つぶれとなったという説です。

 

光秀は本能寺の変後、山崎の戦いで羽柴秀吉に敗れ

敗走中に落ち武者狩りの農民に討ち取られたといわれています。

しかし、打ち取られたのは影武者で本人は生き延びた

という説もあるのです。

天海

天海は天台宗の大僧正ですが、謎多き人物でも

あります。

1608年、天海は72歳の時に65歳の徳川家康と

初対面を果たし家康の懐刀と呼ばれるようになりました。

 

徳川家康から徳川将軍3代にわたって参謀を務め

徳川幕府の礎を築いた人物ともいわれているのです。

 

幕府を盤石にするため、風水によるまちづくりを

実践。

東叡山寛永寺を創建し、日光東照宮の造営も

行っています。

なんと天海は106歳まで生きたのだそうです。

光秀=天海?

この謎多き僧侶天海の正体は明智光秀なのでは

ないかという説があります。

 

二人とも出生日など不明な点が多く

この説は大正時代から唱えられていたのだとか。

 

天海の墓所の一つは日光にあります。

日光には明智平という観光スポットがありますが

その命名者が天海だというのです。

 

さらに天海が仕えていた徳川2代将軍徳川秀忠

3代将軍家光の名前に入っている文字を合わせると光秀

なりますね。

 

他にもいろいろあるようですが

こじつけのような感じも多いように思います。

ただ、誰誰の生存説とか歴史のロマンが感じられ

面白いことは確かです。

 

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ちょっと一言

歴史は面白いね

源義経、チンギスハン説とかね

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