10月31日の「ブラタモリ」では「網走~“最果ての地”網走は“理想の地”!?~」が
放送されます。
網走といえば高倉健さんの映画「網走番外地」シリーズなどでも有名で
網走監獄は漫画やアニメなどで扱われることも多いです。
最近だと漫画「ゴールデンカムイ」にも登場しています。
今では人気の観光スポットでもありますが
なぜ網走監獄は建てられたんでしょう?
網走監獄と聞くと厳しい監視体制で脱獄は不可能なような感じがしますが
そこに「昭和の脱獄王」と呼ばれた白鳥由栄(しらとりよしえ)が挑んだそうです。
どんな作戦を取ったのでしょう?
少し調べてみました。

最果ての監獄のイメージがあるね

一面雪的な?
網走
今日の網走。夕方に『#能取岬』に行って来ました。日没後の #灯台 も良いね。#流氷の街網走 #網走市 pic.twitter.com/qthBy3Xwg6
— HiRo (@HIRO22971) October 20, 2020
網走市は北海道の東部にある市で人口は約3万5千人。
オホーツク海から流れ着いた流氷を海岸から見ることもでき
時期ではない時も天都山のオホーツク流氷館に行くといつでも本物の流氷を見ることができます。
特産品もオホーツク海で採れたかにや鮭、ホッケなど新鮮な海産物が有名です。
でも、網走で一番の観光地は「博物館網走監獄」でしょう。
ここは実際に刑務所として使用されていた建物をそのまま博物館として保存・公開しています。

網走監獄はなぜできた?
網走監獄博物館最高だった。何より重要文化財の中に入れて見学できるの嬉しすぎる。建築の美しさも素晴らしい。駆け足で見たけど2時間ちょいかかった広大さ。駆け足で今から北見二もどる~。 pic.twitter.com/lhkGUG73mE
— ファーストサマーぐりこ∞ (@gulico69) October 25, 2020
明治23年(1890年)に「網走囚徒宿泊所」として建設され明治36年(1903年)に「網走監獄」へ改名。
大正11年(1922年)に「網走刑務所」となりました。
日本の最北端にあり、過酷で一度入ったら二度と出られないと言われた網走監獄。
では、なぜこの網走監獄が作られたのでしょう?
明治維新の後、蝦夷地は北海道となり北海道開拓使が開拓おすすめますが
厳しい環境もありなかなか思うように進みませんでした。
そこで開拓のために囚人を使うことを考え、網走監獄ができたのです。
囚人だと民間より賃金は安く済むし、危ない作業で死んでもあまり非難はされず
監獄費が浮くとかんがえられたのです。
明治23年には囚人が1200人集められ、中央道路開削工事につきました。
旭川と網走を結ぶ228キロの道で無謀ともいわれましたが、囚人を一日15時間働かせ
道路は突貫工事で完成。
囚人は211人も亡くなったそうです。
白鳥由栄
今も白鳥由栄は網走監獄を脱獄しようとしています。#歴史秘話ヒストリア pic.twitter.com/oCelfgIn0E
— 酒上小琴【サケノウエノコゴト】 (@raizou5th) November 13, 2019
「昭和の脱獄王」と呼ばれた白鳥由栄は強盗殺人の罪で捕まりますが
秋田と青森の刑務所を脱獄。
1944年に網走監獄へ送られてきます。
網走監獄といえば監視が厳しくて脱獄不能、白鳥は独房で脱獄防止の鉄製の扉がつけられ
手錠も強化されていました。
白鳥が目を付けたのは味噌汁。
毎日味噌汁を格子の付け根に吹きかけ、時間をかけて塩分で腐食させ
外すことに成功。
特製の鎖にも味噌汁を吹きかけ、噛みつき歯を2本失いながら外すことに成功しました。
看守が後退の時間に脱獄を決行し、視察孔に体を入れ肩を脱臼しながらも
脱獄に成功しています。


根気よく味噌汁を吹きかけていたんだろうね

すごい怪力でもあったんだって
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