東京オリンピックがどんどん近づいています。
そんななか、新国立競技場周辺に設置する新たな五輪博物館
「日本オリンピックミュージアム」にモスクワオリンピックに出場予定
だった選手の名前が刻まれることになったそうです。
1980年に開催されたモスクワオリンピックには日本は出場をボイコットし
代表として選ばれた選手たちは「幻の代表」と呼ばれました。
出場してないので、国際的には「オリンピアン」と認められてなく
日本でも認定証とバッジが配られたくらいだったとか。
選手たちは参加したかっただろうし、今回のことで国内だけでも名前が刻まれる
というのはいいことだと思います。
ところでなぜモスクワオリンピックをボイコットしたのでしょうか?
そこには東西冷戦という当時の事情が絡んでいたのです。
そこでボイコットした理由や出場予定だった有力選手など調べてみました。

選手にとってはつらかっただろうね

4年に一度のスポーツの祭典だしね
モスクワオリンピック
モスクワオリンピックはソビエト連邦(当時)の首都モスクワで行われたオリンピックで
1980年7月19日から8月3日まで開催されました。
社会主義国家としては初のオリンピック開催で大会マスコットは
熊をモチーフにしたミーシャ。
日本ではオリンピックの前年に「こぐまのミーシャ」というアニメが放送されています。
このモスクワオリンピックはテレビ朝日が独占放映権を獲得していたのですね
「こぐまのミーシャ」もテレビ朝日系列で放送、力を入れていたんでしょう。
しかし、日本がボイコットしたので放送は深夜の録画放送のみとなったそうです。
自国開催だったソ連や社会主義の東欧諸国ではメダル獲得が義務付けられ
組織的なドーピングが行なわれ後に健康被害を出した選手もいるといわれています。
そういえば、2014年のソチ冬季オリンピックでもロシアの国家ぐるみのドーピングが
明るみに出ていましたね。
ボイコットの理由
なぜ日本はモスクワオリンピックをボイコットしたのでしょう?
当時は東西冷戦という時代背景がありました。
1979年12月ソ連がアフガニスタンに侵攻しました。
それを受けて1980年1月、アメリカのカーター大統領がボイコットを呼びかけたのです。
その後、日本や西ドイツ、当時ソ連と対立していた中国など50か国ほどが
ボイコットを決めました。
4月、日本政府はボイコットの方針を決めJOC(日本オリンピック委員会)に伝えます。
選手たちはJOCに参加を訴えたそうです。
この時期がピークの選手もいたでしょうし、是非とも参加したかったことでしょう。
しかし1980年5月24日、JOCは臨時総会を開き投票(不参加29参加13)で不参加が
決定しました。
4年後の1984年。
アメリカでロサンゼルスオリンピックが開かれましたが、今度はアメリカのグレナダ侵攻
を理由に東欧諸国がボイコットしています。
幻の代表の有力選手
幻の代表と言われたモスクワオリンピックに出場するはずだった選手たち。
金メダル候補と言われた選手もいました、何人か紹介します。
瀬古利彦
元マラソンの選手です。
モスクワオリンピックで金メダルの東ドイツワルデマール・チェルピンスキー選手に
何度か勝ったことがあったそうで、メダルを期待されていました。
山下泰裕
元柔道の選手です。
全日本選手権で4連覇していて、メダルが期待されていました。
4年後のロサンゼルスオリンピックでは金メダルを獲得しています。
高田裕司
元レスリングの選手です。
1976年のモントリオールオリンピックで金メダル、モスクワオリンピック
でも連覇確実とまで言われていました。
一旦レスリングを引退し、復帰した1984年のロサンゼルスオリンピックでは
銅メダルを獲得しています。


モスクワオリンピックに出場していたら、日本のスポーツの歴史が変わっていたかもしれないね

日本だけじゃなく世界でも変わっていたろうね
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